横板に雨垂れ
「立て板に水」という表現がある。
「広辞苑」では「弁舌がすらすらとしてよどみのないさま」という説明だ。
この慣用句、プラス評価の言葉なのだろうか?
もちろんプラスで使われることもあるだろう。
アナウンサーや司会者には「立て板に水」の喋りが要求される。
特にスポーツ、競馬などの実況放送にはこの能力が欠かせない。
ところが、講演会やセミナーなどでこの話し方をされると、頭にも心にも一向に残らない。
一本調子で一方的な話は、一つ一つの内容はわかったつもりになっても、
終わってみると印象に残らず、何か物足りない感じがするのだ。
それよりはボソボソ、ポツリポツリという語り口の方が心に響く。
考えながら言葉を選んでいる、という感じが私には好ましく思える。
素朴というか木訥(ぼくとつ)というか、信じていい気がする。
俳優で言えば宇野重吉、笠智衆、大滝秀治といったところか...。
スラスラと話す所もあっていいいのだ。
要はメリハリの付け方、間の取り方であると思う。
絶妙の
「間」は聞き手を引きつけ、考えさせる効果を生む。
実は私も、つい早口で一本調子になりがちなので気をつけている。
保護者との面談の際にも、意識的に間をおくことがある。
強弱をつけるとともに、最もふさわしい言葉を探しているのだ。
「立て板に水」の反対は
「横板に雨垂れ」と言うそうだ。
何にでも効率が求められる時代、この「横板に...」こそもっと評価すべきではないか。
話す方も聞く方も、本当の贅沢な時間を共有できると思うのだが...。
NHKのアナウンサーの原稿を読むスピードが、数十年前よりずいぶん速くなっているそうだ。
昔のニュースや野球中継の放送を聞くと、ずいぶん悠長に聞こえる。
それだけ早口に慣れてしまったということか...。
芸能で「間」の取り方が悪いことを
「間抜け」と言った。
「まぬけ」の語源である...。
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