辞書に頼るな!

どーもオリゴ糖

2010年08月31日 12:45

県下で一、二を争う「進学校」に通う高校2年生(♂)の話だ。

さすがにどの教科も進みが速く、英語もかなり難しめのテキストをやっている。
この子、中学時代から決して英語は不得意ではなく、
今でもほぼ十分な理解ができている。

ただ一つ、悪い癖がある。
どうしても和訳したがるのだ。和訳を求められているわけではない。
内容についての質問に答えられればいいのだが、
一々日本語に置き換えないと気が済まないらしい。
「言っていることはわかるけど日本語にできない」と訴えてくる。

内容がつかめていればそれでいい、
英語を英語のまま理解する方がよほど大切だと言うのだが、聞く耳を持たない。
結果、いかにも「翻訳」という、ゴツゴツした和訳を作って満足している。

おまけにと言うべきか、だからと言うべきか、辞書を過信している
辞書に載っていない日本語は認められないらしい。
しかも私の大嫌いな電子辞書なので、用例もよく見ずに「訳せない」と言ってくる。

この前は issue という単語だった。
前後の文脈から判断して、私は「問題」くらいの意味だろうと教えた。
すると彼が言う。
「issue に「問題」なんて意味あるんですか?」
私はそのとき、おぼろげな記憶でその意味があると思ったのだが、
あまりにも辞書にこだわりすぎる彼の言いぐさに、思わずこう叫んでいた。
「辞書に載っていようがいまいが、ここでは「問題」という意味になるんだ!」

後から確認したら、確かに issue に「問題」が載っていた。
しかし仮に載っていなかったとしても、私は訂正するつもりはない。
あそこでの意味はそれしかなかった。

辞書は決して万能ではない。
あくまでも参考に留めるべきであろう。
世界中で何億、何十億という人間が今も使い続けている、
そのすべての意味が辞書に網羅されているはずはないのだ。


日本語だってそういう例はいくらでもある。
辞書を引いてもピンと来ないなんてことは日常茶飯事だ。

たとえば、今思いついて引いてみた「提供」という言葉。
広辞苑は「さし出して相手の用に供すること」
旺文社国語辞典は「他の人々の役に立てるために差し出すこと」としか載っていない。
日本語を勉強する外国人が、テレビで「提供は○○です」という表現を耳にして調べても、
辞書ではラチがあかないことは明かであろう。
(さすがに「新解さん」(新明解)には「②商業放送番組に出資すること」というのがあった。)

さて、彼がいつ目覚めてくれるか...。
和訳の呪縛から解き放たれたとき、
もっと速く、もっと大量の英文を読めるようになるはずだ。
そうすれば英文感覚もさらに磨かれ、英語が益々楽しくなることは間違いない。









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