中学生のときだから、もう40年近く前になる。
NHKで
「天下御免」という型破りな時代劇が放映されていた。
江戸時代の奇才、平賀源内を主人公にしたドラマだったが、
早坂暁氏の脚本が絶妙で実に楽しかった。
史実に基づいた部分は少なく、ときには時代考証もお構いなしに、
エンターテインメント性を重視していたのだ。
当時のNHK番組の中では、異色中の異色であったろう。
この冒険的な時代劇については、もちろん賛否両論の意見があったが、私は夢中になった。
初めはただ面白いだけだったが、そのうち主人公の源内の生き方に憧れるようになる。
奇人変人扱いされても意に介さず、むしろ人と違うことを誇りにしているかのようだった。
思想や言動がなかなか受け入れられず、「早く生まれすぎた」とこぼしながらも、
重苦しい時代をいかに面白く、自由に生きるかを追求していく姿に共感を覚えたのだ。
(実はこの「自由」が物語のコンセプトの一つでもあり、
ラストは自由を求めて熱気球でフランスに渡って、
フランス革命に参加するという壮大な展開になっていた。)
それまでの私は典型的な優等生タイプだった。
親や先生の言うことをよく聞き、お勉強も真面目にやって成績も良かった。
大人から与えられた価値観を、何の疑いもなく素直に受け入れていたのだ。
それがこの番組を観て変わった。
自分も源内のようになりたい、もっと自由に生きてみたいと思うようになったのだ。
強烈な自我が芽生えたきっかけが「天下御免」という時代劇だったのである。
前にも書いたが、今では行列が大嫌いな人間になった。
「変わっている」と言われるのは、私にとっては褒め言葉である。
いつも群れていないと気が済まない人より、孤高の人に魅力を感じる。
だからこそ、先日新聞に載っていた調査結果にはがっかりした。
ベネッセ教育研究開発センターが全国の児童・生徒に行った調査である。
「仲間同士で固まっていたい」「仲間外れにされないように話を合わせる」
こんなふうに答える子どもが、特に男子で増えているそうだ。
前者には小中学生の5~6割、後者には小学生の5割、中高生でも4~5割が該当している。
高校生でも43%の男子が「話を合わせる」というのは、いささか多すぎないか...。
記事は、「草食化」が小学生のときから始まっていると分析している。
我々の時代と違って、今の中高生は母親や父親ともよく話をしているらしい。
家族の絆が深まっているのは悪いことではないだろうが、
どうも内輪だけ、同質の者だけでまとまろうという意識が強すぎるように思う。
自分の周りのごく狭い範囲で、こぢんまりと居心地のいい空間を維持していこうと考えているのだろう。
なんだか日本の将来がますます心配になってくる。
友人や親と対立しながら自我を築いていく、
そんな「逞しい」青少年は少数派になってしまったのか...。
周りに合わせることばかり気にして、自分の頭で考える習慣を持たないまま成長すれば、
いつまでも自立できない若者が増加するのではないか。
マスコミに簡単に操作されやすい思考停止人間も、さらに一般化するだろう。
史実では、平賀源内は過失で人を殺め、牢内で死する。
その死にあたり、友人だった杉田玄白が詠んだ詩がある。
ああ非常の人
非常の事を好み
行いこれ非常
何ぞ非常の死なるや
※画像は最近読んだ本。励まされました...。