新聞を読め!

どーもオリゴ糖

2011年04月30日 11:59

新聞を取らない家庭が増えているという。
塾の生徒の家でも同様だ。
忙しくて読む暇がない、必要な情報はテレビやネットで手に入れれば十分という考え方のようだ。

うちの子は国語ができないと嘆く家庭に限って、新聞を取っていないことが多い。
子どもは驚くほど言葉を知らない。
社会常識も乏しい。

塾では国語力をつける方法の一つとして、
新聞の読者投稿を書き写し、要約したり感想を書いたりすることを勧めている。
だが、肝心の新聞が家庭にないのでは話にならない。

新聞があっても、子どもはテレビ欄くらいしか見ないかも知れない。
それでもやがて、たまにでもスポーツ欄や家庭欄を見る子どもが出でくる。
何より、大人が新聞を読んでいる風景、日常的に活字が身近にある環境が大切なのだ。
新聞読む暇がないと言いながら、テレビは長時間見ている。
親がそうであれば、子どもも当然そうなるだろう。
国語力の基礎は家庭生活にあることは言うまでもない。

「新聞を取る」という表現を知らない子もいる。
オリジナル教材で「新聞を取っていないこと」が正解の問題があるのだが、
「新聞を読んでいない」「~買っていない」「~配達していない」などと書いてくる。
「買っていない」では、駅の売店を連想してしまう。
「配達していない」って、新聞販売店ではあるまいし...。

毎朝定期的に家に届けてもらうという日本の文化は、
やがて消え去っていくのか...。


前にも書いたが、確かにネットは効率的だが、それ故に寄り道ができない。
新聞なら目的の情報とともに、その他の「無駄な話」も仕入れることができる。
今は無駄に思えても、いつそれが役に立つかわからない。
たとえ実利的な得はなくても、
幅広い知識や常識、教養を身につけるためには、この寄り道こそが欠かせないのだ。
今知りたい情報、すぐに役に立つ知識ばかりを詰め込んでいては、薄っぺらな人間にしかなれない。

家庭にはまず、新聞や本などの活字がある環境を作ってもらいたい。
私は自宅と塾で2誌を取り、毎日切り抜きをしている。
忙しいときは面倒に思うこともあるが、寄り道で世界が広がる体験は捨てがたい。
一日の中でも贅沢な時間だと思っている。







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