2011年09月06日

熟成を待つ

先日新聞に、長野県家庭教師協会のチラシが入ってきた。
いわく、普通の個別指導塾では自習の時間が多いが、
家庭教師なら先生を独り占めできてたくさん教えてもらえるetc....。

これを読んで、やはり家庭教師は高いだけのことはあると思う人も少なくないだろう。
だが、はたしてこれは、生徒の力を育むための理想の指導なのだろうか?
教えれば教えるほど、子どもは伸びるのだろうか...?

答はNoである。
たくさん教えてくれる先生、わからなかったらすぐに教えてくれるのが
いい先生というのは大きな誤解だ。
平均レベルの高校には入れればいい、合格さえすれば高校でつまずいても構わないということなら、
ひたすら教え込めばどうにかなるかも知れない。
しかし、それ以上の力を子どもにつけさせたいのであれば、この方法では限界がある。
少しわからないとすぐに解き方を教わろうとするようでは、
これから先の長い人生、壁にぶつかるたびに挫折することになりかねない。

子どもたちには、自分の頭で考える時間が不可欠である。
教わったことを咀嚼し、消化する時間が絶対に必要なのだ。
意味もわからずただ丸暗記するだけでは、すぐに忘れるし応用が利かない。
新たに得た知識を自分なりに納得し、腑に落ちるまで考えぬく体験を積むことは、
必ずや将来の糧となることだろう。

次から次へ教え込んでいては熟成の時間が取れない。
あえて全部を教えず、ヒントを出したり自分で調べさせたり...。
自分で考えることを促し、生徒の思考を邪魔しない、
必要があればその子の思考に沿った的確なアドバイスを与える...。
そんな指導こそが真の理想型ではないだろうか...。

私も経験があるのだが、家庭教師という形態はどうしても教えすぎてしまう傾向にある。
高いお金をもらっているのだからという意識も働くし、何より1対1だと暇なのだ。
親がお茶でも持って来ようものなら、ここぞとばかり熱心さをアピールして教え込んだり...。
生徒は一方的に教えられるだけで、自分で考える余地はほとんどない。
ちょっと考えてわからなかったら、訊けばすぐ教えてくれるのだから...。
結果として、困ったら人に頼ればいいという受け身の人間を生産することになってしまう。

これは、親がわが子に教える場合にも少なからず共通することだと言えよう。
自分も含め、わが子に対してはどうしても教えたくなってしまう...。
イライラが先に立って、ゆとりを持って接することができないのだ。

勉強に限らず、大人が子どもに何かを身につけさせようとすると、
つい先回りして教え込みたくなるものである。

その方が手っ取り早いのだ。
しかし、上述したように、それでは子どもは成長しない。
教えすぎない我慢、内なる熟成を待つ忍耐こそが肝要である。
親には、子どもの可能性を信じて長い目で見守っていただくようお願いしている。






  


Posted by どーもオリゴ糖 at 12:02Comments(2)よしなしごと