2010年08月31日
辞書に頼るな!
県下で一、二を争う「進学校」に通う高校2年生(♂)の話だ。
さすがにどの教科も進みが速く、英語もかなり難しめのテキストをやっている。
この子、中学時代から決して英語は不得意ではなく、
今でもほぼ十分な理解ができている。
ただ一つ、悪い癖がある。
どうしても和訳したがるのだ。和訳を求められているわけではない。
内容についての質問に答えられればいいのだが、
一々日本語に置き換えないと気が済まないらしい。
「言っていることはわかるけど日本語にできない」と訴えてくる。
内容がつかめていればそれでいい、
英語を英語のまま理解する方がよほど大切だと言うのだが、聞く耳を持たない。
結果、いかにも「翻訳」という、ゴツゴツした和訳を作って満足している。
おまけにと言うべきか、だからと言うべきか、辞書を過信している。
辞書に載っていない日本語は認められないらしい。
しかも私の大嫌いな電子辞書なので、用例もよく見ずに「訳せない」と言ってくる。
この前は issue という単語だった。
前後の文脈から判断して、私は「問題」くらいの意味だろうと教えた。
すると彼が言う。
「issue に「問題」なんて意味あるんですか?」
私はそのとき、おぼろげな記憶でその意味があると思ったのだが、
あまりにも辞書にこだわりすぎる彼の言いぐさに、思わずこう叫んでいた。
「辞書に載っていようがいまいが、ここでは「問題」という意味になるんだ!」
後から確認したら、確かに issue に「問題」が載っていた。
しかし仮に載っていなかったとしても、私は訂正するつもりはない。
あそこでの意味はそれしかなかった。
辞書は決して万能ではない。
あくまでも参考に留めるべきであろう。
世界中で何億、何十億という人間が今も使い続けている、
そのすべての意味が辞書に網羅されているはずはないのだ。
日本語だってそういう例はいくらでもある。
辞書を引いてもピンと来ないなんてことは日常茶飯事だ。
たとえば、今思いついて引いてみた「提供」という言葉。
広辞苑は「さし出して相手の用に供すること」、
旺文社国語辞典は「他の人々の役に立てるために差し出すこと」としか載っていない。
日本語を勉強する外国人が、テレビで「提供は○○です」という表現を耳にして調べても、
辞書ではラチがあかないことは明かであろう。
(さすがに「新解さん」(新明解)には「②商業放送番組に出資すること」というのがあった。)
さて、彼がいつ目覚めてくれるか...。
和訳の呪縛から解き放たれたとき、
もっと速く、もっと大量の英文を読めるようになるはずだ。
そうすれば英文感覚もさらに磨かれ、英語が益々楽しくなることは間違いない。

さすがにどの教科も進みが速く、英語もかなり難しめのテキストをやっている。
この子、中学時代から決して英語は不得意ではなく、
今でもほぼ十分な理解ができている。
ただ一つ、悪い癖がある。
どうしても和訳したがるのだ。和訳を求められているわけではない。
内容についての質問に答えられればいいのだが、
一々日本語に置き換えないと気が済まないらしい。
「言っていることはわかるけど日本語にできない」と訴えてくる。
内容がつかめていればそれでいい、
英語を英語のまま理解する方がよほど大切だと言うのだが、聞く耳を持たない。
結果、いかにも「翻訳」という、ゴツゴツした和訳を作って満足している。
おまけにと言うべきか、だからと言うべきか、辞書を過信している。
辞書に載っていない日本語は認められないらしい。
しかも私の大嫌いな電子辞書なので、用例もよく見ずに「訳せない」と言ってくる。
この前は issue という単語だった。
前後の文脈から判断して、私は「問題」くらいの意味だろうと教えた。
すると彼が言う。
「issue に「問題」なんて意味あるんですか?」
私はそのとき、おぼろげな記憶でその意味があると思ったのだが、
あまりにも辞書にこだわりすぎる彼の言いぐさに、思わずこう叫んでいた。
「辞書に載っていようがいまいが、ここでは「問題」という意味になるんだ!」
後から確認したら、確かに issue に「問題」が載っていた。
しかし仮に載っていなかったとしても、私は訂正するつもりはない。
あそこでの意味はそれしかなかった。
辞書は決して万能ではない。
あくまでも参考に留めるべきであろう。
世界中で何億、何十億という人間が今も使い続けている、
そのすべての意味が辞書に網羅されているはずはないのだ。
日本語だってそういう例はいくらでもある。
辞書を引いてもピンと来ないなんてことは日常茶飯事だ。
たとえば、今思いついて引いてみた「提供」という言葉。
広辞苑は「さし出して相手の用に供すること」、
旺文社国語辞典は「他の人々の役に立てるために差し出すこと」としか載っていない。
日本語を勉強する外国人が、テレビで「提供は○○です」という表現を耳にして調べても、
辞書ではラチがあかないことは明かであろう。
(さすがに「新解さん」(新明解)には「②商業放送番組に出資すること」というのがあった。)
さて、彼がいつ目覚めてくれるか...。
和訳の呪縛から解き放たれたとき、
もっと速く、もっと大量の英文を読めるようになるはずだ。
そうすれば英文感覚もさらに磨かれ、英語が益々楽しくなることは間違いない。

2010年08月29日
見てわかる力
数学=計算だと思っている生徒がいる。
難しい数式を駆使した方が高度な解き方だと誤解している。
...とんでもない!
シンプルな解き方こそが一番美しいのだ。
たとえば次のような∠aを求める問題がある。
もちろん平行線とか三角形が絡んで、
他のわかっている角から導き出す問題だ。

これを平気で「105°」と答える。
どこかで計算間違いか、勘違いをした結果だ。
しかし、図を見ればどう考えても90°以下のはずだ。
そこでおかしいと思ってほしいのだが、そんなことは気にもかけない。
計算を過信し、見て判断できることを疎かにしている...。
次は、一次関数のグラフから式を出す代表的な問題だ。

計算に頼る生徒は、当然のようにy=ax+b の式を持ち出し、
(-4,0)と(0,5)をxとyに代入して連立方程式を作る。
方程式にするといかにも数学をやっている気分になるのだろうが、
実はきわめて機械的に対処しているだけだ。
もっと簡単にできるのに、そんな方法は考えもしない...。
グラフを見れば、こんなの5秒で解ける。
傾きが4分の5、切片が5だからy=5/4x+5 でおしまい。
何の計算もいらない...。
高校の三角比でもそうだ。
sin2乗θ+cos2乗θ=1や、cosθ=sin(90-θ)などを必死に覚える理由がわからない。
教科書でも、いかにも重要なことのように太字で書いてあるが、
「公式」というほどのものでもなかろう。
直角三角形を描いてみればすぐにわかる。
こんなのを一々暗記していては、すぐにメモりーがいっぱいになってしまう...。
証明問題では、こことここが等しそうだという勘も軽視できない。
むろん思い込みは厳禁だが、図を見て見当をつけることで解決の糸口が見つかることも多い。
ひらめきや直観が働く頭を育てるために、
生徒には「計算に頼るな、見てわかる力を大事にしろ」と言い続けている。
難しい数式を駆使した方が高度な解き方だと誤解している。
...とんでもない!
シンプルな解き方こそが一番美しいのだ。
たとえば次のような∠aを求める問題がある。
もちろん平行線とか三角形が絡んで、
他のわかっている角から導き出す問題だ。

これを平気で「105°」と答える。
どこかで計算間違いか、勘違いをした結果だ。
しかし、図を見ればどう考えても90°以下のはずだ。
そこでおかしいと思ってほしいのだが、そんなことは気にもかけない。
計算を過信し、見て判断できることを疎かにしている...。
次は、一次関数のグラフから式を出す代表的な問題だ。

計算に頼る生徒は、当然のようにy=ax+b の式を持ち出し、
(-4,0)と(0,5)をxとyに代入して連立方程式を作る。
方程式にするといかにも数学をやっている気分になるのだろうが、
実はきわめて機械的に対処しているだけだ。
もっと簡単にできるのに、そんな方法は考えもしない...。
グラフを見れば、こんなの5秒で解ける。
傾きが4分の5、切片が5だからy=5/4x+5 でおしまい。
何の計算もいらない...。
高校の三角比でもそうだ。
sin2乗θ+cos2乗θ=1や、cosθ=sin(90-θ)などを必死に覚える理由がわからない。
教科書でも、いかにも重要なことのように太字で書いてあるが、
「公式」というほどのものでもなかろう。
直角三角形を描いてみればすぐにわかる。
こんなのを一々暗記していては、すぐにメモりーがいっぱいになってしまう...。
証明問題では、こことここが等しそうだという勘も軽視できない。
むろん思い込みは厳禁だが、図を見て見当をつけることで解決の糸口が見つかることも多い。
ひらめきや直観が働く頭を育てるために、
生徒には「計算に頼るな、見てわかる力を大事にしろ」と言い続けている。
2010年08月26日
「諦め」のすすめ
「諦める」という言葉にはマイナスのイメージが伴う。
夢や希望を棄てる、努力をやめるといったニュアンスが感じられる。
しかし、この言葉の語源は「明らむ」だという。
「明らかに見極める。事情をはっきりさせる。」などの意味を持つ。
「諦」という漢字にしても、もともとは「悟りを開く」という意味である。
(以上、「不幸な国の幸福論」(by加賀乙彦)参照。)
「諦める」は、本来よい意味の言葉なのだ。
己の置かれた状況を見極め、これからの指針を明確にする。
努力すれば変えられるものと、自分の力では変えられないものを区別することで、
心身の健康を保つことができる。
軍国主義の世になって、この考え方は一変する。
お国のため、がむしゃらに突き進む勇気、根性、大和魂が美徳とされた。
悟りなど開いている暇はない。
「諦める」ことはいけないこと、弱いことに成り下がったのだ。
戦後は戦後で、経済最優先の世の中になり、アメリカ的な競争主義が蔓延した。
人々は次から次へと「豊かさ」を求め、その欲望は限りを知らない。
「隣の芝生」に憧れ、他者と比べて劣っている点ばかりを憂慮し、
いつまでたっても満足感、幸福感を得られない...。
今の時代こそ、「諦める」ことの重要性が見直されるべきだろう。
「足るを知る」 ということでもある。
こう書くとなんだか貧乏くさい、年寄りじみた言い方に聞こえるかも知れないが、
自分を過小評価したり、己に早めに見切りをつけたりすることを勧めているわけではない。
こじんまりとした、小市民的な幸福に満足せよと言いたいのではないのだ。
先に書いたように、努力しても変えられないことは受け入れよということだ。
血縁、地縁、職場の人間関係、生まれながらの障害、持病などなど...。
他人の性格などそう簡単に変えられるものではない。
お金持ちの家に生まれなかったことを恨んでいても始まらない...。
一方で、「成せば成る」的な思想もわからないではない。
「決して諦めない」姿勢を貫き通すことで、
科学的には説明できない「奇跡」を起こした例も少なからずあるだろう。
それでも敢えて、今の日本に必要なのは「諦め」の思想だと言いたい。
経済大国になっても、不機嫌な顔の国民がこんなに多いのはなぜなのか...。
おそらく、江戸時代までの庶民は「諦める」ことを実践できていたのだと思う。
みんな貧しかったに違いないが、今よりずっとニコニコと楽しく暮らしていたのではなかろうか...。
「大和魂」なんていうのは、為政者が都合よく作り上げた観念だと私は思っている。

夢や希望を棄てる、努力をやめるといったニュアンスが感じられる。
しかし、この言葉の語源は「明らむ」だという。
「明らかに見極める。事情をはっきりさせる。」などの意味を持つ。
「諦」という漢字にしても、もともとは「悟りを開く」という意味である。
(以上、「不幸な国の幸福論」(by加賀乙彦)参照。)
「諦める」は、本来よい意味の言葉なのだ。
己の置かれた状況を見極め、これからの指針を明確にする。
努力すれば変えられるものと、自分の力では変えられないものを区別することで、
心身の健康を保つことができる。
軍国主義の世になって、この考え方は一変する。
お国のため、がむしゃらに突き進む勇気、根性、大和魂が美徳とされた。
悟りなど開いている暇はない。
「諦める」ことはいけないこと、弱いことに成り下がったのだ。
戦後は戦後で、経済最優先の世の中になり、アメリカ的な競争主義が蔓延した。
人々は次から次へと「豊かさ」を求め、その欲望は限りを知らない。
「隣の芝生」に憧れ、他者と比べて劣っている点ばかりを憂慮し、
いつまでたっても満足感、幸福感を得られない...。
今の時代こそ、「諦める」ことの重要性が見直されるべきだろう。
「足るを知る」 ということでもある。
こう書くとなんだか貧乏くさい、年寄りじみた言い方に聞こえるかも知れないが、
自分を過小評価したり、己に早めに見切りをつけたりすることを勧めているわけではない。
こじんまりとした、小市民的な幸福に満足せよと言いたいのではないのだ。
先に書いたように、努力しても変えられないことは受け入れよということだ。
血縁、地縁、職場の人間関係、生まれながらの障害、持病などなど...。
他人の性格などそう簡単に変えられるものではない。
お金持ちの家に生まれなかったことを恨んでいても始まらない...。
一方で、「成せば成る」的な思想もわからないではない。
「決して諦めない」姿勢を貫き通すことで、
科学的には説明できない「奇跡」を起こした例も少なからずあるだろう。
それでも敢えて、今の日本に必要なのは「諦め」の思想だと言いたい。
経済大国になっても、不機嫌な顔の国民がこんなに多いのはなぜなのか...。
おそらく、江戸時代までの庶民は「諦める」ことを実践できていたのだと思う。
みんな貧しかったに違いないが、今よりずっとニコニコと楽しく暮らしていたのではなかろうか...。
「大和魂」なんていうのは、為政者が都合よく作り上げた観念だと私は思っている。

2010年08月24日
何に脅えているのか?
個人宅に電話すると、「はい」とだけ反応が返ってくることが多い。
不機嫌な、あるいは用心深い声だ。
「○○です」と苗字を名乗って出る家は少ない。
昔はみな、受けた電話には「はい、○○です」と出たものだ。
私も親にそう教えられた。
しかも明るい声で出るように...。
個人情報保護法が施行されてから、世の中が必要以上に神経質になった。
電話帳に個人名を掲載していない家も多いし、
学校の連絡網などもなくなりつつあるという。
何をそんなにピリピリしているのか...。
かかってきた電話に名乗らない傾向も、その一環だろう。
しつこくかかってくる迷惑電話や振り込め詐欺のことを考えたら、
うかつに苗字を教えないことは正しいのかも知れない。
だが、私にはどうしても度が過ぎているように思える。
どう危険なのかを考えもせず、
ただ「個人情報」「プライバシー」と騒いでいるようにしか見えないのだ。
わが家でも妻が、一時そういう電話の受け方をしていた。
初めは私も気にしていなかったが、
自分が家にかけたときに「はい?」と出られると、
「いったい何の用ですか?!」と詰問されているようで甚だ気分が悪い。
妻に改めるように言うと、案の定「個人情報」の一言。
そこで聞いてみた。
苗字を名乗ったことでいったいどんな不利益が生じるのか...。
妻から具体的な答は得られなかった。
ただ何となく不安というだけなのだ。
これも、日本中に蔓延する思考停止現象の一つだろう。
確固たる考えがあってそうしているのなら結構だが、
妻のように「何となく」という例が多いのではないか。
テレビや周りのみんながそう言っているから...と、
自分の頭で十分考えることなく追従してしまう。
かくして、世の中はどんどんギスギスした方向に向かっていくのだ。
マスコミに煽動されやすく、みんなと同じを求めたがる日本人の気質は変わらないのか。
これは為政者にとって好都合な、
ときに大変危険な風潮であることは歴史で体験しているはずなのだが...。
わが家の電話応対はもとに戻った。
「はい、○○です」と明るい声で出てくれると、とても気持ちがいいものだ。
皆さんの家ではどうしてますか...?

不機嫌な、あるいは用心深い声だ。
「○○です」と苗字を名乗って出る家は少ない。
昔はみな、受けた電話には「はい、○○です」と出たものだ。
私も親にそう教えられた。
しかも明るい声で出るように...。
個人情報保護法が施行されてから、世の中が必要以上に神経質になった。
電話帳に個人名を掲載していない家も多いし、
学校の連絡網などもなくなりつつあるという。
何をそんなにピリピリしているのか...。
かかってきた電話に名乗らない傾向も、その一環だろう。
しつこくかかってくる迷惑電話や振り込め詐欺のことを考えたら、
うかつに苗字を教えないことは正しいのかも知れない。
だが、私にはどうしても度が過ぎているように思える。
どう危険なのかを考えもせず、
ただ「個人情報」「プライバシー」と騒いでいるようにしか見えないのだ。
わが家でも妻が、一時そういう電話の受け方をしていた。
初めは私も気にしていなかったが、
自分が家にかけたときに「はい?」と出られると、
「いったい何の用ですか?!」と詰問されているようで甚だ気分が悪い。
妻に改めるように言うと、案の定「個人情報」の一言。
そこで聞いてみた。
苗字を名乗ったことでいったいどんな不利益が生じるのか...。
妻から具体的な答は得られなかった。
ただ何となく不安というだけなのだ。
これも、日本中に蔓延する思考停止現象の一つだろう。
確固たる考えがあってそうしているのなら結構だが、
妻のように「何となく」という例が多いのではないか。
テレビや周りのみんながそう言っているから...と、
自分の頭で十分考えることなく追従してしまう。
かくして、世の中はどんどんギスギスした方向に向かっていくのだ。
マスコミに煽動されやすく、みんなと同じを求めたがる日本人の気質は変わらないのか。
これは為政者にとって好都合な、
ときに大変危険な風潮であることは歴史で体験しているはずなのだが...。
わが家の電話応対はもとに戻った。
「はい、○○です」と明るい声で出てくれると、とても気持ちがいいものだ。
皆さんの家ではどうしてますか...?

2010年08月22日
うれしい一言
特別な経緯で、土曜日に1対1で指導している生徒がいる。
姉と共に小学1年生の途中から入り、今4年生だ。
初めはわがままなところが多く、
少し難しくなるとすぐに投げ出したりふくれたりしていた。
最近はその傾向もだいぶ改善され、
自力で粘って解くことも増えてきた。
もともと頭の回転がいい子だ。
言葉もよく知っている。
ペンシルパズルをやらせれば、ちゃんと論理的に考えて正解に至る。
何と言っても、すこぶる可愛い。
おしゃれでおしゃまで、人なつこい。
父親と別居しているせいか、私に甘えてくる。
「抱っこして」と来るので、思い切りハグしてあげる。
娘の小さいときを思い出して幸せな気分になれる。
その子が昨日ポツリと言った。
「先生の跡継ぎがこの塾やっていたら、(自分の)子ども通わせるね。」
おお、嬉しいことを言ってくれるねえ...。
でも、「跡継ぎ」ねえ...。
私 「今何歳だっけ?」
生徒「9歳。」
私 「そうか。いくつくらいで結婚することにしようか?」
生徒「20歳では結婚したい。」
私 「あと11年か...。それならまだ先生やっているかも...。
あ、生まれてすぐ来るわけじゃないからダメか...。」
生徒「幼稚園の途中で入れる。賢くなってほしいから...。」
う~ん、あと15,16年か...。70近くになるな...。
こりゃ、彼女のためにも、ちゃんと後継者を探しておかなければ...。
たまにこういう一言に出会えるので、やはり塾稼業はやめられない。

姉と共に小学1年生の途中から入り、今4年生だ。
初めはわがままなところが多く、
少し難しくなるとすぐに投げ出したりふくれたりしていた。
最近はその傾向もだいぶ改善され、
自力で粘って解くことも増えてきた。
もともと頭の回転がいい子だ。
言葉もよく知っている。
ペンシルパズルをやらせれば、ちゃんと論理的に考えて正解に至る。
何と言っても、すこぶる可愛い。
おしゃれでおしゃまで、人なつこい。
父親と別居しているせいか、私に甘えてくる。
「抱っこして」と来るので、思い切りハグしてあげる。
娘の小さいときを思い出して幸せな気分になれる。
その子が昨日ポツリと言った。
「先生の跡継ぎがこの塾やっていたら、(自分の)子ども通わせるね。」
おお、嬉しいことを言ってくれるねえ...。
でも、「跡継ぎ」ねえ...。
私 「今何歳だっけ?」
生徒「9歳。」
私 「そうか。いくつくらいで結婚することにしようか?」
生徒「20歳では結婚したい。」
私 「あと11年か...。それならまだ先生やっているかも...。
あ、生まれてすぐ来るわけじゃないからダメか...。」
生徒「幼稚園の途中で入れる。賢くなってほしいから...。」
う~ん、あと15,16年か...。70近くになるな...。
こりゃ、彼女のためにも、ちゃんと後継者を探しておかなければ...。
たまにこういう一言に出会えるので、やはり塾稼業はやめられない。

2010年08月20日
考える力
どこで見かけた問題だったか忘れてしまった。
生徒に息抜きに出すクイズ(?)にこんなのがある。
答えを見る前に、皆さんも考えていただきたい。
ある人がこう言いました。
「わたしは一昨日13歳でしたが、来年は16歳になります。」
さて、今日は何月何日で、この人の誕生日はいつでしょう?
(正解は画像の下↓)
一瞬、そんなことあり得ないと思う。
でも正解があるはずだ...。
ところが、多くの生徒がここから一歩も進めない。何を書くでもなく、ただボーッと考えている。
1分も経つと「無理!」「できない!」という顔つきになる...。
水曜日、居合わせた中学生全員にこの問題を与えた。
3年7名、2年1名、1年2名で競争だ。
初めは制限時間を5分とした。
5分以内にできたのは3人。
1番も2番も中1の生徒だった。
この二人は、付属中や私立中の受験勉強を経験している。
3番は中2の子。
この子は小3のときに入塾し、塾にあるペンシルパズルはすべて制覇した。
立体パズルも大好きな子だ。
さて肝心の中3は...。
5分過ぎにやっと1名が正解。
この子は学校の成績も上の中くらいで、わりと柔軟な考え方ができる。
続いてもう1名。
こちらは成績は中の中で、とにかく作業に時間がかかる。
しかしときどきキラッと光る才能を見せる子だ。
残りの5人は10分経ってもダメなので、ヒントを出す。
「こういう特殊な状況になるのは1年のどの時期かを考えろ」
それでも白紙のままの子、
「特殊」というヒントからなぜか2月29日にこだわる子...。
「今日」は合っているのに、「誕生日」がずれている子もいる。
結局どうにかもう一人が正解したきり、20分を経過したところで打ち切る。
先日の高校入試模試で、塾内でトップだった子はとうとうできなかった。
数学大好きという子も沈没...。
この結果は、いったい何を物語っているのか...。
実は、ある程度予想どおりだった。
学校の成績とは比例しないだろうと思っていた。
教えられたことをそのまま覚え、解き方のパターンを身につければ、テストでは点が取れる。
でも、それだけでは初めて見る問題には手も足も出ないのだ。
総合テストや本番の入試では固まってしまうことになる。
この問題を解くために必要なのは、まずひらめき、あるいは頭の柔らかさである。
さらに、条件を整理する分析力、論理的に考える力、試行錯誤できる粘り強さなどが挙げられる。
答を出した後には検証力、修正力も問われる。
中学受験の勉強をしてきた生徒は、柔軟性の面で優れているように思う。
いろいろな方向からの考え方ができるのは強味だ。
中2の子も、パズルや良質の文章題を通して、論理的思考力や粘り強さを磨いてきた。
ただ計算するだけ、覚えるだけの「お勉強」しかしていない子とは自力が違うのだ。
もう一つ感じたこと。
学年が進むにつれてできが悪かった。
これは、中学校でテスト向けの勉強、覚える勉強ばかりに染まってきた結果ではないのか。小学校のときはユニークな発想をしていた子が、
中学に入ってときが経つと、ありきたりの考え方しかできなくなる例は珍しくない。
この問題はこう考える、これはこのやり方で...という指導に慣れてしまい、
やがて言われたままにマネをする方が楽になってしまう。
教師の方がそういう生徒を求めているのだから仕方ない...。
今までは、中学生に対してはどうしても教科指導が主になってきたが、
小学生並みにパズル類を増やしてもいい、いや増やすべきかも知れないと考えている。

<正解>今日は1月1日。誕生日は12月31日。一昨日は13歳で昨日14歳になった。
今年の大晦日で15歳。来年の大晦日で16歳になる。
生徒に息抜きに出すクイズ(?)にこんなのがある。
答えを見る前に、皆さんも考えていただきたい。
ある人がこう言いました。
「わたしは一昨日13歳でしたが、来年は16歳になります。」
さて、今日は何月何日で、この人の誕生日はいつでしょう?
(正解は画像の下↓)
一瞬、そんなことあり得ないと思う。
でも正解があるはずだ...。
ところが、多くの生徒がここから一歩も進めない。何を書くでもなく、ただボーッと考えている。
1分も経つと「無理!」「できない!」という顔つきになる...。
水曜日、居合わせた中学生全員にこの問題を与えた。
3年7名、2年1名、1年2名で競争だ。
初めは制限時間を5分とした。
5分以内にできたのは3人。
1番も2番も中1の生徒だった。
この二人は、付属中や私立中の受験勉強を経験している。
3番は中2の子。
この子は小3のときに入塾し、塾にあるペンシルパズルはすべて制覇した。
立体パズルも大好きな子だ。
さて肝心の中3は...。
5分過ぎにやっと1名が正解。
この子は学校の成績も上の中くらいで、わりと柔軟な考え方ができる。
続いてもう1名。
こちらは成績は中の中で、とにかく作業に時間がかかる。
しかしときどきキラッと光る才能を見せる子だ。
残りの5人は10分経ってもダメなので、ヒントを出す。
「こういう特殊な状況になるのは1年のどの時期かを考えろ」
それでも白紙のままの子、
「特殊」というヒントからなぜか2月29日にこだわる子...。
「今日」は合っているのに、「誕生日」がずれている子もいる。
結局どうにかもう一人が正解したきり、20分を経過したところで打ち切る。
先日の高校入試模試で、塾内でトップだった子はとうとうできなかった。
数学大好きという子も沈没...。
この結果は、いったい何を物語っているのか...。
実は、ある程度予想どおりだった。
学校の成績とは比例しないだろうと思っていた。
教えられたことをそのまま覚え、解き方のパターンを身につければ、テストでは点が取れる。
でも、それだけでは初めて見る問題には手も足も出ないのだ。
総合テストや本番の入試では固まってしまうことになる。
この問題を解くために必要なのは、まずひらめき、あるいは頭の柔らかさである。
さらに、条件を整理する分析力、論理的に考える力、試行錯誤できる粘り強さなどが挙げられる。
答を出した後には検証力、修正力も問われる。
中学受験の勉強をしてきた生徒は、柔軟性の面で優れているように思う。
いろいろな方向からの考え方ができるのは強味だ。
中2の子も、パズルや良質の文章題を通して、論理的思考力や粘り強さを磨いてきた。
ただ計算するだけ、覚えるだけの「お勉強」しかしていない子とは自力が違うのだ。
もう一つ感じたこと。
学年が進むにつれてできが悪かった。
これは、中学校でテスト向けの勉強、覚える勉強ばかりに染まってきた結果ではないのか。小学校のときはユニークな発想をしていた子が、
中学に入ってときが経つと、ありきたりの考え方しかできなくなる例は珍しくない。
この問題はこう考える、これはこのやり方で...という指導に慣れてしまい、
やがて言われたままにマネをする方が楽になってしまう。
教師の方がそういう生徒を求めているのだから仕方ない...。
今までは、中学生に対してはどうしても教科指導が主になってきたが、
小学生並みにパズル類を増やしてもいい、いや増やすべきかも知れないと考えている。

<正解>今日は1月1日。誕生日は12月31日。一昨日は13歳で昨日14歳になった。
今年の大晦日で15歳。来年の大晦日で16歳になる。
2010年08月19日
男の本能?
お盆に実家帰った際、グループホームにいる父を訪ねた。
数年前から認知症が進み、老々介護では共倒れになりかねない状況になった。
幸い実家にはそれなりの財産もあり、近くによい施設があったので、お世話になることにした。
実に面倒見のよい所で、母も満足している。
帰省したときには必ず寄っていくが、ボケがかなり進んで会話もままならない。
たまに何か言おうとするが、小さな声でろれつも回らず聞き取れない。
こちらが話しかけても、言葉は返ってこない。
首を縦に振るか横に振るかで意思表示するだけだ。
それでも、しょっちゅう訪ねている母のことは、大事な人だとわかっているようだ。
私のことはわかっているのか...。
母が「○○でしょ」と私の名を告げれば肯くのだが...。
私のことを時折じっと見つめ、何か言いたげにしていた。
調子の悪いときもあるが、先日は終始穏やかな様子だった。
ときどき、何が楽しいのか、笑顔が続くことがある。
声を立てて笑うことも...。
みんながホッとするひとときだ。
いつだったか、母が冗談半分で父の手を取り、自分の胸を触らせたらとてもいい笑顔になった。
いやらしさなど微塵も感じられない、純粋な笑顔だ。
こちらまでほのぼのとした気持ちになる。
やっぱり本能的に幸せを感じるのかな...。
そのときのことを思い出し、今回は母にリクエストして写真を撮らせてもらった。
この満面の笑みをご覧あれ...。
それにしても、あんなにしっかりしていた親父がなぜ...?と思う。
周りのお年寄りは皆元気だ。
田舎の方が畑仕事などやることがたくさんあって脳にはいいのだろうか。
私は長男だが、信州が気に入って生活の拠点を置いてしまった。
申し訳ないという気持ちはずっと拭えない。
でも、大人の男同士の話をもっとしたかったな...。

数年前から認知症が進み、老々介護では共倒れになりかねない状況になった。
幸い実家にはそれなりの財産もあり、近くによい施設があったので、お世話になることにした。
実に面倒見のよい所で、母も満足している。
帰省したときには必ず寄っていくが、ボケがかなり進んで会話もままならない。
たまに何か言おうとするが、小さな声でろれつも回らず聞き取れない。
こちらが話しかけても、言葉は返ってこない。
首を縦に振るか横に振るかで意思表示するだけだ。
それでも、しょっちゅう訪ねている母のことは、大事な人だとわかっているようだ。
私のことはわかっているのか...。
母が「○○でしょ」と私の名を告げれば肯くのだが...。
私のことを時折じっと見つめ、何か言いたげにしていた。
調子の悪いときもあるが、先日は終始穏やかな様子だった。
ときどき、何が楽しいのか、笑顔が続くことがある。
声を立てて笑うことも...。
みんながホッとするひとときだ。
いつだったか、母が冗談半分で父の手を取り、自分の胸を触らせたらとてもいい笑顔になった。
いやらしさなど微塵も感じられない、純粋な笑顔だ。
こちらまでほのぼのとした気持ちになる。
やっぱり本能的に幸せを感じるのかな...。
そのときのことを思い出し、今回は母にリクエストして写真を撮らせてもらった。
この満面の笑みをご覧あれ...。
それにしても、あんなにしっかりしていた親父がなぜ...?と思う。
周りのお年寄りは皆元気だ。
田舎の方が畑仕事などやることがたくさんあって脳にはいいのだろうか。
私は長男だが、信州が気に入って生活の拠点を置いてしまった。
申し訳ないという気持ちはずっと拭えない。
でも、大人の男同士の話をもっとしたかったな...。
2010年08月18日
長野で阪神快勝!
昨夜のオリンピックスタジアム、横浜vs阪神戦に行ってきた。
長野に阪神が来るのは、なんと半世紀ぶりだという。
チケット発売を待ちかねて席を確保したが、
セブンイレブンでの先行発売は3塁側内野指定はすぐに売り切れ。
仕方なく1塁側を取ったが、内野は内野でもかなり外野寄り。
ライトの守備位置の真横だ。
ちょうど屋根の下なので雨の心配はしなくていいが、先行発売であの位置はなかろう。
一般発売を待ってローソンチケットで取った方が、よほどいい席を取れた。
一つ学んだので次に生かしたい...。
試合は二転三転の打撃戦となり、とても面白かった。
ホームランもたくさん出て盛り上がる。
4時間の熱戦の後、12-8で阪神が勝利!
西村も久保田もよかった。
何と言っても、念願だった藤川球児を見ることができた。
3年前から年に一度、妻と阪神戦を観る。
2007年、銀婚式の記念で甲子園に行ったときは負けゲーム。
昨年の東京ドームも負けたので、藤川の出番なし。
2008年の巨人戦はせっかく勝ったのに、北京五輪で藤川が不在...。
いつ大リーグに行ってしまうのか、
その前に一度生で、あの快速球を見てみたいと願っていたのだ。
9回表に1点リードし、これでOKと思っていたら、
3ランが飛び出し4点差に...。
セーブがつかない場面になったので心配したが、
長野のファンへのサービスか、ちゃんと出てきてくれた。
やっぱり速かった...!
同じ球速でも他の投手と違う。
150kmにはため息が出た...。
結果的には席も正解だった。
もちろん横浜ファンもチラホラいたが、1塁側でも圧倒的に阪神ファンが多い。
その上、よりホームに近い側にけっこう空席があったので、
途中からそちらに移動し、1人で3人分くらいの席を占領してゆったり応援できた。
隣にいたおばちゃん2人連れ。
大阪から観光を兼ねて応援に来たのだろう。
「どこ投げとるんや!」「しっかり打たんかい!」
関西弁炸裂で面白かった...。
阪神は、地方球場での主催ゲームが他のチームよりかなり少ないそうだ。
もっと増やすよう、連盟や他球団から要望が出ているという。
昨日の快勝を機に、今度は阪神が、長野でのゲームを主催してくれることを期待したい。


長野に阪神が来るのは、なんと半世紀ぶりだという。
チケット発売を待ちかねて席を確保したが、
セブンイレブンでの先行発売は3塁側内野指定はすぐに売り切れ。
仕方なく1塁側を取ったが、内野は内野でもかなり外野寄り。
ライトの守備位置の真横だ。
ちょうど屋根の下なので雨の心配はしなくていいが、先行発売であの位置はなかろう。
一般発売を待ってローソンチケットで取った方が、よほどいい席を取れた。
一つ学んだので次に生かしたい...。
試合は二転三転の打撃戦となり、とても面白かった。
ホームランもたくさん出て盛り上がる。
4時間の熱戦の後、12-8で阪神が勝利!
西村も久保田もよかった。
何と言っても、念願だった藤川球児を見ることができた。
3年前から年に一度、妻と阪神戦を観る。
2007年、銀婚式の記念で甲子園に行ったときは負けゲーム。
昨年の東京ドームも負けたので、藤川の出番なし。
2008年の巨人戦はせっかく勝ったのに、北京五輪で藤川が不在...。
いつ大リーグに行ってしまうのか、
その前に一度生で、あの快速球を見てみたいと願っていたのだ。
9回表に1点リードし、これでOKと思っていたら、
3ランが飛び出し4点差に...。
セーブがつかない場面になったので心配したが、
長野のファンへのサービスか、ちゃんと出てきてくれた。
やっぱり速かった...!
同じ球速でも他の投手と違う。
150kmにはため息が出た...。
結果的には席も正解だった。
もちろん横浜ファンもチラホラいたが、1塁側でも圧倒的に阪神ファンが多い。
その上、よりホームに近い側にけっこう空席があったので、
途中からそちらに移動し、1人で3人分くらいの席を占領してゆったり応援できた。
隣にいたおばちゃん2人連れ。
大阪から観光を兼ねて応援に来たのだろう。
「どこ投げとるんや!」「しっかり打たんかい!」
関西弁炸裂で面白かった...。
阪神は、地方球場での主催ゲームが他のチームよりかなり少ないそうだ。
もっと増やすよう、連盟や他球団から要望が出ているという。
昨日の快勝を機に、今度は阪神が、長野でのゲームを主催してくれることを期待したい。


2010年08月17日
幸福の定義
イソップ寓話に「町のねずみと田舎のねずみ」という話がある。
ご存知の方も多かろう。
町のねずみが田舎のねずみの家を訪ねる。
ところが、堅い木の実の食事や葉っぱの布団、静かすぎる環境が我慢できない。
町はもっと刺激的で素敵だと、田舎のねずみを誘う。
田舎のねずみが町へ行ってみると、
見たこともない御馳走がいっぱいある。
初めは少し羨ましかったが、
人間や猫の気配にびくびくしながらの生活はごめんだと思う。
田舎に帰ったねずみは、質素でものんびりできる暮らしがいいと実感する。
こんな内容だった。
都会暮らしと田舎暮らしの例えに、ときどき使われる話だ。
私は田舎暮らしがしたくて信州に来た。
新しさや便利さよりも、広さや自然環境を重視して山の方に住んでいる。
当然「田舎のねずみ」派だ。
お盆に千葉の実家に帰って、改めて感じたことがある。
81歳の母、この人はかなり「町のねずみ」派だということだ。
好奇心旺盛で、どこでも一人で出かけて行く。
だからこそ気持ちが若いのだろうし、
運転ができない身では田舎暮らしは大変だろう。
便利な今の住み家を離れるつもりはないようだ。
母は一人暮らしなので、防犯には気を使っている。
以前裏の家に強盗が押し入ったことがあり、セコムも取り付けた。
夜は真夏でも雨戸を閉め切り、エアコンで暑さを凌ぐ。
私が泊まった13日は珍しく涼しい夜だったので、
「窓を開けたままでいいのでは?」と提案したが、「田舎と違って物騒だから」と却下された。
東京から帰って来て、新幹線を降りたとたんホッとした。
やっぱり涼しい!
同じ気温でも暑さの質が違う。
夜、自然の風を感じながら眠ることができる幸せを痛感した。
今読んでいる本(加賀乙彦「不幸な国の幸福論」)にこんな一言があった。
「幸福を定義してはいけない」
何が幸せかは、母と私の例を見るまでもなく、人それぞれ違って当然である。
誰かの、あるいは世間一般の幸福論に振り回される必要はない。
自分なりの幸福論を持つべきだ。
だが、自分が考える幸せの定義にも、とらわれ過ぎてはいけないということだ。
定義を明確にしてしまうと、仮に今の自分が理想的な幸福でも、
外的環境が少し変わっただけで不幸になる危険がある。
どうしても、マイナス面に目が向いてしまうのだ。
自分の力で変えられないものはありのままを受け入れ、
その時々で流動的に幸福の定義を変えられる柔軟さを持ちたい。
母はこの辺り、実にしたたかに賢く対処し、人生を楽しんでいるのかも知れない...。

※庭のサルスベリ、予想外のボリュームです。
ご存知の方も多かろう。
町のねずみが田舎のねずみの家を訪ねる。
ところが、堅い木の実の食事や葉っぱの布団、静かすぎる環境が我慢できない。
町はもっと刺激的で素敵だと、田舎のねずみを誘う。
田舎のねずみが町へ行ってみると、
見たこともない御馳走がいっぱいある。
初めは少し羨ましかったが、
人間や猫の気配にびくびくしながらの生活はごめんだと思う。
田舎に帰ったねずみは、質素でものんびりできる暮らしがいいと実感する。
こんな内容だった。
都会暮らしと田舎暮らしの例えに、ときどき使われる話だ。
私は田舎暮らしがしたくて信州に来た。
新しさや便利さよりも、広さや自然環境を重視して山の方に住んでいる。
当然「田舎のねずみ」派だ。
お盆に千葉の実家に帰って、改めて感じたことがある。
81歳の母、この人はかなり「町のねずみ」派だということだ。
好奇心旺盛で、どこでも一人で出かけて行く。
だからこそ気持ちが若いのだろうし、
運転ができない身では田舎暮らしは大変だろう。
便利な今の住み家を離れるつもりはないようだ。
母は一人暮らしなので、防犯には気を使っている。
以前裏の家に強盗が押し入ったことがあり、セコムも取り付けた。
夜は真夏でも雨戸を閉め切り、エアコンで暑さを凌ぐ。
私が泊まった13日は珍しく涼しい夜だったので、
「窓を開けたままでいいのでは?」と提案したが、「田舎と違って物騒だから」と却下された。
東京から帰って来て、新幹線を降りたとたんホッとした。
やっぱり涼しい!
同じ気温でも暑さの質が違う。
夜、自然の風を感じながら眠ることができる幸せを痛感した。
今読んでいる本(加賀乙彦「不幸な国の幸福論」)にこんな一言があった。
「幸福を定義してはいけない」
何が幸せかは、母と私の例を見るまでもなく、人それぞれ違って当然である。
誰かの、あるいは世間一般の幸福論に振り回される必要はない。
自分なりの幸福論を持つべきだ。
だが、自分が考える幸せの定義にも、とらわれ過ぎてはいけないということだ。
定義を明確にしてしまうと、仮に今の自分が理想的な幸福でも、
外的環境が少し変わっただけで不幸になる危険がある。
どうしても、マイナス面に目が向いてしまうのだ。
自分の力で変えられないものはありのままを受け入れ、
その時々で流動的に幸福の定義を変えられる柔軟さを持ちたい。
母はこの辺り、実にしたたかに賢く対処し、人生を楽しんでいるのかも知れない...。

※庭のサルスベリ、予想外のボリュームです。
2010年08月16日
J2初観戦!
13日~15日と千葉の実家に帰省してきた。
世間の流れとは逆なのでJRの切符も取りやすい。
私と同じ年に結婚した妹の家を初めて訪れた。
帰りには上野の国立博物館にも寄ってきた。
だが今回一番印象に残ったのは、何と言ってもサッカーJ2の観戦である。
実家の最寄り駅からわずか3駅目に、ジェフ千葉のホームスタジアムがある。
J1だったときから、母が一度行ってみたいと言っていたのを思い出し、
日程を確かめると、ちょうど14日に試合がある。
母は81歳になったが、一人でいろいろな所に出かけていく。
パソコンもできるし、Suicaも使いこなす。
意向を打診すると、ぜひ行きたいとの返事だったのでチケットを取った。
私は野球好きなので球場には何度も足を運んでいるが、
サッカーは地元「長野パルセイロ」の試合を観たことがあるだけだ。
Jリーグの、本格的なスタジアムに行くのは初めてである。
妻など、パルセイロの試合を観た篠ノ井のサッカー場と変わらぬ規模をイメージしていたらしい。
JR蘇我駅からゆっくり歩いて10分。
スタジアムが見えてきたところで、妻が「すごい!」と歓声を上げた。
試合開始30分前だったが、すでに外までサポーターの熱狂的な応援が響いている。
野球のそれを遙かに凌駕するパワーだ。
中に入ると、カクテル光線に浮かび上がった芝生が鮮やかだ。
収容人数は2万人弱と、サッカー場としてはコンパクトなので、
思ったよりもピッチを近くに感じることができる。
場内には大音量でポップな曲が流れ、
ゴール裏のサポーターの応援は途切れることなく続いた。
隣の席との会話もままならない。
日常生活とは180°異なるハレの場に、
半ば圧倒され半ば恍惚とする中、キックオフの笛が鳴った。
前半は、ゴール前のジェフ千葉の攻めを目の前で観ることができたが0vs0。
後半PKと相手のオウンゴールで、2 vs 0で快勝した。
少し遠い反対側のゴールへのシュートだったのが残念だが、
迫力、興奮、そして爽快感は十分に味わうことができた。
それにしても、野球と違って圧倒的に若者が多い。
81歳のばあさんなど、当日の最高齢ではなかったか...。
あの応援も半端ではない。
野球なら相手の攻撃のときには休めるが、
サッカーは試合中ずっと大声で歌い、体を動かしている。
あれは年寄りにはできない...。
まあ最近は野球でも、ロッテや日本ハムを筆頭に、あの手の応援が増えてはいるが...。
競技の性格上無理な話だが、できれば静かな時間もほしい。
同じコールを十数回繰り返すのもついて行けない...。
私にはやはり野球のリズムが合っているのだろうか。
サッカーは時間がある程度決まっている。
野球のように、下手したら4時間、5時間ということはない。
だからこそ、選手もサポーターもそこに集中できる。
実に濃密な90分になっているのだ。
やはり若者向けのスポーツなのだろう。
私には、野球のあのダラダラ感が魅力だ。
動と静、緊張と弛緩、間合い、駆け引き...そんな要素が欠かせない。
相撲もそうだが、こういう奥深さを楽しめるようになるには、
それなりの人生経験が必要ということかも知れない...。


世間の流れとは逆なのでJRの切符も取りやすい。
私と同じ年に結婚した妹の家を初めて訪れた。
帰りには上野の国立博物館にも寄ってきた。
だが今回一番印象に残ったのは、何と言ってもサッカーJ2の観戦である。
実家の最寄り駅からわずか3駅目に、ジェフ千葉のホームスタジアムがある。
J1だったときから、母が一度行ってみたいと言っていたのを思い出し、
日程を確かめると、ちょうど14日に試合がある。
母は81歳になったが、一人でいろいろな所に出かけていく。
パソコンもできるし、Suicaも使いこなす。
意向を打診すると、ぜひ行きたいとの返事だったのでチケットを取った。
私は野球好きなので球場には何度も足を運んでいるが、
サッカーは地元「長野パルセイロ」の試合を観たことがあるだけだ。
Jリーグの、本格的なスタジアムに行くのは初めてである。
妻など、パルセイロの試合を観た篠ノ井のサッカー場と変わらぬ規模をイメージしていたらしい。
JR蘇我駅からゆっくり歩いて10分。
スタジアムが見えてきたところで、妻が「すごい!」と歓声を上げた。
試合開始30分前だったが、すでに外までサポーターの熱狂的な応援が響いている。
野球のそれを遙かに凌駕するパワーだ。
中に入ると、カクテル光線に浮かび上がった芝生が鮮やかだ。
収容人数は2万人弱と、サッカー場としてはコンパクトなので、
思ったよりもピッチを近くに感じることができる。
場内には大音量でポップな曲が流れ、
ゴール裏のサポーターの応援は途切れることなく続いた。
隣の席との会話もままならない。
日常生活とは180°異なるハレの場に、
半ば圧倒され半ば恍惚とする中、キックオフの笛が鳴った。
前半は、ゴール前のジェフ千葉の攻めを目の前で観ることができたが0vs0。
後半PKと相手のオウンゴールで、2 vs 0で快勝した。
少し遠い反対側のゴールへのシュートだったのが残念だが、
迫力、興奮、そして爽快感は十分に味わうことができた。
それにしても、野球と違って圧倒的に若者が多い。
81歳のばあさんなど、当日の最高齢ではなかったか...。
あの応援も半端ではない。
野球なら相手の攻撃のときには休めるが、
サッカーは試合中ずっと大声で歌い、体を動かしている。
あれは年寄りにはできない...。
まあ最近は野球でも、ロッテや日本ハムを筆頭に、あの手の応援が増えてはいるが...。
競技の性格上無理な話だが、できれば静かな時間もほしい。
同じコールを十数回繰り返すのもついて行けない...。
私にはやはり野球のリズムが合っているのだろうか。
サッカーは時間がある程度決まっている。
野球のように、下手したら4時間、5時間ということはない。
だからこそ、選手もサポーターもそこに集中できる。
実に濃密な90分になっているのだ。
やはり若者向けのスポーツなのだろう。
私には、野球のあのダラダラ感が魅力だ。
動と静、緊張と弛緩、間合い、駆け引き...そんな要素が欠かせない。
相撲もそうだが、こういう奥深さを楽しめるようになるには、
それなりの人生経験が必要ということかも知れない...。


2010年08月12日
暑さで豊作~ちょっと変な日本語3~
コンビニで電話料金を支払った。
3,231円だったので、3,235円出す。
店員が言った。「3,231円ですね。」
一瞬「あれ?」と思ったが、たいして気にもせずお釣りを待つ。
ところが領収証をよこしたきりで、一件落着という顔をしている。
「お釣り...」と言うと、けげんそうな顔で金額を確かめ、
「あ!五円でしたね。失礼しました。
暑さでぼけてしまって...。」
冷房の効いた中にいてもぼけるのだ。
ラジオやテレビから流れる変な日本語も絶好調...!
その1:SBCラジオのニュース。スイスの氷河特急脱線事故の続報。
脱線に不具合があったのではと...
不具合があったかも知れないのは線路だろう。
脱線そのものは「不具合」に決まっている。
その2:同じくSBCラジオ。どこかの行事の報告だ。
炎天下のもと...
「炎天下」とは「炎天のもと」を意味する。
完全に言葉がダブっている...。
その3:CS「GAORA」の野球中継。
下柳から一発を浴びせました。
「下柳に」とするか「下柳から一発を放ちました」とすべし。
その4:天下のNHKラジオ。天気予報の際のアドバイス。
水分補給などこまめに摂って...
これもダブり。
「水分などこまめに摂って」、または「水分補給などをこまめに行って」にしてもらいたい。
※ 明日から3日間千葉の実家に帰省するので、新着記事はお休みです...。

3,231円だったので、3,235円出す。
店員が言った。「3,231円ですね。」
一瞬「あれ?」と思ったが、たいして気にもせずお釣りを待つ。
ところが領収証をよこしたきりで、一件落着という顔をしている。
「お釣り...」と言うと、けげんそうな顔で金額を確かめ、
「あ!五円でしたね。失礼しました。
暑さでぼけてしまって...。」
冷房の効いた中にいてもぼけるのだ。
ラジオやテレビから流れる変な日本語も絶好調...!
その1:SBCラジオのニュース。スイスの氷河特急脱線事故の続報。
脱線に不具合があったのではと...
不具合があったかも知れないのは線路だろう。
脱線そのものは「不具合」に決まっている。
その2:同じくSBCラジオ。どこかの行事の報告だ。
炎天下のもと...
「炎天下」とは「炎天のもと」を意味する。
完全に言葉がダブっている...。
その3:CS「GAORA」の野球中継。
下柳から一発を浴びせました。
「下柳に」とするか「下柳から一発を放ちました」とすべし。
その4:天下のNHKラジオ。天気予報の際のアドバイス。
水分補給などこまめに摂って...
これもダブり。
「水分などこまめに摂って」、または「水分補給などをこまめに行って」にしてもらいたい。
※ 明日から3日間千葉の実家に帰省するので、新着記事はお休みです...。

2010年08月11日
行くも帰るも
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関
言わずと知れた蝉丸の歌である。
百人一首で最も有名な歌と言ってもいいだろう。
「坊主めくり」のとき、名前も姿も坊主らしからぬ蝉丸が出ると、
思わず笑いが出たものだ。
ここでいう「行く」「帰る」は畿内を中心にしている。
そこから出て行く者を「行く」、戻ってくる者を「帰る」と言っているのだ。
視点が変われば、当然「行く」「帰る」は逆転する。
そのため、各人によって視点がバラバラでは困ることには、
明確な基準を設けて誤解が生じないようにしなければならない。
鉄道の「上り」「下り」は最もわかりやすい例だろう。
東京駅に近づく方が「上り」、逆が「下り」である。
東京との直線距離ではなく、東京に行くために結果的に向かう方向が「上り」となる。
たとえば須坂の方が長野よりわずかに東京に近いが、
実際に東京に行くには一度長野に出なくてはならない。
従って須坂→長野が「上り」である。
因みに塩尻駅は、中央本線がここを境に運行系統が分かれているため、
新宿へ向かう列車も名古屋方面の電車も、ともに「上り」という異色の駅だ。
ぐるっと回る山手線や大阪環状線は「内回り」「外回り」で区別。
途中で東京駅を経由する京浜東北線は「北行」「南行」で分けている。
東京の外側を大きく回る武蔵野線は、なぜか西船橋→府中本町が「上り」。
一応、千葉県より東京都の方を上に置いているのか...。
近鉄や名鉄など、路線も複雑で多くの主要駅を結んでいる私鉄では、
「上り」「下り」の基準をどう定めているのか興味深いところである。
生徒が帰りがけにこう言った。
「水曜日は用事で行けません。」
ん?どこに...?
塾に来られないって意味?
自分が今その場所にいるのに「行けません」はおかしくない?
逆に電話で「今日来てもいいですか?」と聞いてくる場合もある。
かなりの違和感だ。
英語では、たとえば母親に「ごはんだよ」と言われたときの「今行くよ」は、
go は使わずに I'm coming. と言う。
使い分けは
come : 話題・意識の中心への移動/正常・望ましい状態への変化
go : 話題・意識から外への移動/異常・望ましくない状態への変化
...ということらしい。
生徒の「来てもいいですか?」にもその意識が含まれているのだろうか。
まさかそんなことはあるまいが、いずれにしても日本語としてはかなり不自然であろう。

知るも知らぬも 逢坂の関
言わずと知れた蝉丸の歌である。
百人一首で最も有名な歌と言ってもいいだろう。
「坊主めくり」のとき、名前も姿も坊主らしからぬ蝉丸が出ると、
思わず笑いが出たものだ。
ここでいう「行く」「帰る」は畿内を中心にしている。
そこから出て行く者を「行く」、戻ってくる者を「帰る」と言っているのだ。
視点が変われば、当然「行く」「帰る」は逆転する。
そのため、各人によって視点がバラバラでは困ることには、
明確な基準を設けて誤解が生じないようにしなければならない。
鉄道の「上り」「下り」は最もわかりやすい例だろう。
東京駅に近づく方が「上り」、逆が「下り」である。
東京との直線距離ではなく、東京に行くために結果的に向かう方向が「上り」となる。
たとえば須坂の方が長野よりわずかに東京に近いが、
実際に東京に行くには一度長野に出なくてはならない。
従って須坂→長野が「上り」である。
因みに塩尻駅は、中央本線がここを境に運行系統が分かれているため、
新宿へ向かう列車も名古屋方面の電車も、ともに「上り」という異色の駅だ。
ぐるっと回る山手線や大阪環状線は「内回り」「外回り」で区別。
途中で東京駅を経由する京浜東北線は「北行」「南行」で分けている。
東京の外側を大きく回る武蔵野線は、なぜか西船橋→府中本町が「上り」。
一応、千葉県より東京都の方を上に置いているのか...。
近鉄や名鉄など、路線も複雑で多くの主要駅を結んでいる私鉄では、
「上り」「下り」の基準をどう定めているのか興味深いところである。
生徒が帰りがけにこう言った。
「水曜日は用事で行けません。」
ん?どこに...?
塾に来られないって意味?
自分が今その場所にいるのに「行けません」はおかしくない?
逆に電話で「今日来てもいいですか?」と聞いてくる場合もある。
かなりの違和感だ。
英語では、たとえば母親に「ごはんだよ」と言われたときの「今行くよ」は、
go は使わずに I'm coming. と言う。
使い分けは
come : 話題・意識の中心への移動/正常・望ましい状態への変化
go : 話題・意識から外への移動/異常・望ましくない状態への変化
...ということらしい。
生徒の「来てもいいですか?」にもその意識が含まれているのだろうか。
まさかそんなことはあるまいが、いずれにしても日本語としてはかなり不自然であろう。

2010年08月10日
足がつる!
今日も寝不足だ。
5時頃足がつって、しばらく痛みにのたうち回った。
つま先をあちこちに曲げたり、姿勢をいろいろ変えたりしても治まらない...。
数分後解消したが、それから眠りに戻れなかった。
10日ほど前にも同じことがあった。
そのときはもっと重症で、10分くらい続いたと思う。
原因は肉体的な疲れなのか、精神的なストレスなのか...。
ネットで調べても、いろいろな説があってよくわからない。
背骨がずれているとか、寝るときの姿勢が悪いとか、食生活の問題とか...。
昨年かかとが猛烈に痛み、まともに歩けないことがあった。
痛風かと思ったが、医者で診てもらうと「亜鉛とビタミン不足」とのこと。
指示に従ってしばらくサプリを摂取し続けたが、
症状がなくなるとともにそれもやめてしまった。
食べ物の好き嫌いは激しい方だ。
この年になっても魚より肉だし、イクラやシソは絶対に拒否する。
大好きなチャーハンにシイタケが入っていたら、すべて取り除く。
酒も好きだし、1日10本だがタバコも吸う。
運動はほとんどしない...。
まさに体に悪いことずくめである。
健康を保つには、生活習慣や食生活を改善するのが本筋だと思う。
だから、健康食品とかサプリなどには何となく抵抗感があった。
なのに、改善の努力など全くしていないといういい加減さ...。
でも、もう意地を張るのはやめにした。
ここは、易きに流れることにする。
今日さっそく、サプリを買いに行こう。
それで快眠が約束されるなら御の字である。

5時頃足がつって、しばらく痛みにのたうち回った。
つま先をあちこちに曲げたり、姿勢をいろいろ変えたりしても治まらない...。
数分後解消したが、それから眠りに戻れなかった。
10日ほど前にも同じことがあった。
そのときはもっと重症で、10分くらい続いたと思う。
原因は肉体的な疲れなのか、精神的なストレスなのか...。
ネットで調べても、いろいろな説があってよくわからない。
背骨がずれているとか、寝るときの姿勢が悪いとか、食生活の問題とか...。
昨年かかとが猛烈に痛み、まともに歩けないことがあった。
痛風かと思ったが、医者で診てもらうと「亜鉛とビタミン不足」とのこと。
指示に従ってしばらくサプリを摂取し続けたが、
症状がなくなるとともにそれもやめてしまった。
食べ物の好き嫌いは激しい方だ。
この年になっても魚より肉だし、イクラやシソは絶対に拒否する。
大好きなチャーハンにシイタケが入っていたら、すべて取り除く。
酒も好きだし、1日10本だがタバコも吸う。
運動はほとんどしない...。
まさに体に悪いことずくめである。
健康を保つには、生活習慣や食生活を改善するのが本筋だと思う。
だから、健康食品とかサプリなどには何となく抵抗感があった。
なのに、改善の努力など全くしていないといういい加減さ...。
でも、もう意地を張るのはやめにした。
ここは、易きに流れることにする。
今日さっそく、サプリを買いに行こう。
それで快眠が約束されるなら御の字である。

2010年08月09日
本を譲ってください!
松代には図書館がない。
2週間に一度、「移動図書館」という名の車が回ってくるだけだ。
そもそも、長野市に図書館が3ヶ所(市立2+県立1)しかないのが少なすぎる。
人口40万人に迫ろうかという「中核市」にしてはお粗末ではないか。
千葉県袖ヶ浦市(人口6万)には5つの図書館があり、
市民はどこに住んでいても車で5分以内で本を借りに行けるそうだ。
以前住んでいた信州新町でも、松代に来てからも、
妻と2人で事あるごとに「図書館がほしい」という話をしてきたが、
行政も住民自身も関心は薄い。
松代には本屋もない。
私が今塾として借りている所が、昔書店だったそうだ。
一時は近くに支店も出していたようだが、
今では気軽にふらっと寄れる「町の本屋さん」はなくなってしまった。
まあ、これはどこでも同様の状況だろうが...。
私も妻も、子どもたちも、みな本は好きだ。
塾を始めてからも読解力、要約力、言語力などの育成に力を入れてきた。
塾には教材や参考書以外にも、子ども向けから大人対象の本、
果ては英語の絵本やペーパーバックまで、多種多様な本がある。
私が読み終わった本は、自動的に塾の本棚に並ぶ仕組みだ。
「塾の価値は蔵書の数で決まる」というのが持論でもある。
さて、松代だ。
行政に期待しても無理なら、自分たちで始めることにした。
松代の教室は2部屋に分かれている。
今のところ奥の部屋で授業を行っているので、
入口に近い方は「前室」扱いで机と椅子があるだけだ。
ここを図書スペースにしようと考えたのだ。
貸し出しや、ものによっては超安価での販売もしたい。
読み聞かせや朗読の場としても活用できる。
これを、思考力と言語力を育てるNPO設立の足がかりにしたいと思う。
「週刊長野」で本の寄付を呼びかけたら、
さっそく川中島から持って来てくれるという人が現れた。
嬉しい限りである。
本のジャンルは問いません。
松代まで持ち込み可能な方、あるいは送っていただける方、ご協力をお願いします!
近くで大量なら取りに伺います。

2週間に一度、「移動図書館」という名の車が回ってくるだけだ。
そもそも、長野市に図書館が3ヶ所(市立2+県立1)しかないのが少なすぎる。
人口40万人に迫ろうかという「中核市」にしてはお粗末ではないか。
千葉県袖ヶ浦市(人口6万)には5つの図書館があり、
市民はどこに住んでいても車で5分以内で本を借りに行けるそうだ。
以前住んでいた信州新町でも、松代に来てからも、
妻と2人で事あるごとに「図書館がほしい」という話をしてきたが、
行政も住民自身も関心は薄い。
松代には本屋もない。
私が今塾として借りている所が、昔書店だったそうだ。
一時は近くに支店も出していたようだが、
今では気軽にふらっと寄れる「町の本屋さん」はなくなってしまった。
まあ、これはどこでも同様の状況だろうが...。
私も妻も、子どもたちも、みな本は好きだ。
塾を始めてからも読解力、要約力、言語力などの育成に力を入れてきた。
塾には教材や参考書以外にも、子ども向けから大人対象の本、
果ては英語の絵本やペーパーバックまで、多種多様な本がある。
私が読み終わった本は、自動的に塾の本棚に並ぶ仕組みだ。
「塾の価値は蔵書の数で決まる」というのが持論でもある。
さて、松代だ。
行政に期待しても無理なら、自分たちで始めることにした。
松代の教室は2部屋に分かれている。
今のところ奥の部屋で授業を行っているので、
入口に近い方は「前室」扱いで机と椅子があるだけだ。
ここを図書スペースにしようと考えたのだ。
貸し出しや、ものによっては超安価での販売もしたい。
読み聞かせや朗読の場としても活用できる。
これを、思考力と言語力を育てるNPO設立の足がかりにしたいと思う。
「週刊長野」で本の寄付を呼びかけたら、
さっそく川中島から持って来てくれるという人が現れた。
嬉しい限りである。
本のジャンルは問いません。
松代まで持ち込み可能な方、あるいは送っていただける方、ご協力をお願いします!
近くで大量なら取りに伺います。

2010年08月08日
不吉な鳥?
先月からずっと、夜になると奇妙な音が聞こえる。
「ヒー」で上がって、「ヒョー」で下がる。
口笛のような高い音だ。
細くてどこかもの悲しい感じが漂う...。
まさか鳥だとは思わなかった。
トラツグミという名だそうだ。
昔からその不気味な鳴き声が、不吉の前兆とされてきたらしい。
かつては「鵺(ヌエ)」と呼ばれていた。
源頼政の「ヌエ退治」で有名な架空の化け物は、
この鳥の声から想像されたものだという...。
トラツグミに関するいろいろなサイトを読んでいたら、
その鳴き声をうまくたとえている人がいた。
「誰かがブランコを漕いでいるのかと思った」
そう、まさにそんな感じだ。
深夜の公園で、少しだけ錆び付いたブランコが揺れているような...。
人の姿は見えないのに、ブランコだけが揺れているというイメージがぴったりかも知れない...。
いずれにせよ、私にはそんなに不気味にも聞こえない。
不吉だとも思わない。
むしろ閑かさを増してくれる声である。
これも自然が豊かなことの証だと思って、夜を楽しみたい。

「ヒー」で上がって、「ヒョー」で下がる。
口笛のような高い音だ。
細くてどこかもの悲しい感じが漂う...。
まさか鳥だとは思わなかった。
トラツグミという名だそうだ。
昔からその不気味な鳴き声が、不吉の前兆とされてきたらしい。
かつては「鵺(ヌエ)」と呼ばれていた。
源頼政の「ヌエ退治」で有名な架空の化け物は、
この鳥の声から想像されたものだという...。
トラツグミに関するいろいろなサイトを読んでいたら、
その鳴き声をうまくたとえている人がいた。
「誰かがブランコを漕いでいるのかと思った」
そう、まさにそんな感じだ。
深夜の公園で、少しだけ錆び付いたブランコが揺れているような...。
人の姿は見えないのに、ブランコだけが揺れているというイメージがぴったりかも知れない...。
いずれにせよ、私にはそんなに不気味にも聞こえない。
不吉だとも思わない。
むしろ閑かさを増してくれる声である。
これも自然が豊かなことの証だと思って、夜を楽しみたい。

2010年08月07日
誤答もまた楽し!
「極東」という言葉がある。
英語では far east になり、日本や中国など東アジアの総称だ。
場合によっては東南アジアや南アジア辺りまで含まれることもあるようだ。
「中東(middle east)」や「近東(near east)」、両者を併せた「中近東」と共に、
ヨーロッパから見た位置関係を表している言葉である。
かつて欧州が世界の中心であった頃のなごりだ。
経度から言っても、イギリスが0°なのだから、日本の135°はずっと東ということになるが、
南北の果ての「南極」「北極」と並べてみると、
とんでもない東の果てというイメージが付きまとう。
まあ確かに、ヨーロッパが中央にある地図を見慣れていれば、
交通手段の限られた当時の人々にとっては、日本など地の果ての秘境だったのかも知れない。
先日、中3の生徒が取り組んでいた地理の問題に、この言葉が出てきた。
穴埋め問題だ。
東アジア付近が極東とよばれるのに対し、西アジア付近が中東とよばれるのは、
( )から見た位置関係にもとづいている。
徳島県公立高校入試の過去問らしい。
「( )にあてはまる州名を書きなさい」という指示があるので、
正解はもちろん「ヨーロッパ州」である。
生徒の書いた答は...「宇宙」!
さすが現代っ子だ。
気象衛星「ひまわり」のものを始めとして、衛星写真を見慣れているからこその発想だ。
でも、問題(州名を答えよ)をきちんと読んでね。
それに、たとえ宇宙から見たとしても、
どこを基準に「東」と言っているかという問なんだよ...。
生徒には悪いが、社会の問題は誤答がけっこう楽しめる。
もう7,8年前になるか、「日本人の主食である( )」という文の空欄をこう答えたつわものがいた。
「カップめん」...
それはお前の主食だろう!!

英語では far east になり、日本や中国など東アジアの総称だ。
場合によっては東南アジアや南アジア辺りまで含まれることもあるようだ。
「中東(middle east)」や「近東(near east)」、両者を併せた「中近東」と共に、
ヨーロッパから見た位置関係を表している言葉である。
かつて欧州が世界の中心であった頃のなごりだ。
経度から言っても、イギリスが0°なのだから、日本の135°はずっと東ということになるが、
南北の果ての「南極」「北極」と並べてみると、
とんでもない東の果てというイメージが付きまとう。
まあ確かに、ヨーロッパが中央にある地図を見慣れていれば、
交通手段の限られた当時の人々にとっては、日本など地の果ての秘境だったのかも知れない。
先日、中3の生徒が取り組んでいた地理の問題に、この言葉が出てきた。
穴埋め問題だ。
東アジア付近が極東とよばれるのに対し、西アジア付近が中東とよばれるのは、
( )から見た位置関係にもとづいている。
徳島県公立高校入試の過去問らしい。
「( )にあてはまる州名を書きなさい」という指示があるので、
正解はもちろん「ヨーロッパ州」である。
生徒の書いた答は...「宇宙」!
さすが現代っ子だ。
気象衛星「ひまわり」のものを始めとして、衛星写真を見慣れているからこその発想だ。
でも、問題(州名を答えよ)をきちんと読んでね。
それに、たとえ宇宙から見たとしても、
どこを基準に「東」と言っているかという問なんだよ...。
生徒には悪いが、社会の問題は誤答がけっこう楽しめる。
もう7,8年前になるか、「日本人の主食である( )」という文の空欄をこう答えたつわものがいた。
「カップめん」...
それはお前の主食だろう!!

2010年08月06日
どっちの応援?
昨日あるブログを見ていて、また一つ日本語の面白さに気づいた。
実際は野球の話だったのだが、ここでは相撲にたとえることにする。
まだ朝青龍が現役だった頃の話としよう。
白鵬と朝青龍の両横綱が14日目まで全勝。
千秋楽結びの一番に優勝を懸けるとする。
TVを観ていた人がこう言った。
今日は朝青龍に勝ってほしいな。
さて、この人はどちらを応援していると思いますか...?
おそらく8割以上の人が「朝青龍」と答えるだろう。妻に聞いてもそう言った。
それ以外にどんな解釈があるのか、という表情だ。
でも今回のブログの場合は(実際には野球の話だが)、そんなことはあり得ない。
だってこのブログは、白鵬ファンの管理人が彼を応援するために書いているのだから...。
(因みに私は、このたとえでは朝青龍ファンである。)
私も初めは「え?なぜ?」と思ったが、
すぐに納得が行った。
管理人は「白鵬が朝青龍に勝つ」ことを望んでいるのである。
つまりこの文は、意味が二通りに解釈できる曖昧な文ということだ。
①朝青龍が勝ってほしい。
・朝青龍の勝利を望む、朝青龍に望むものは勝利という意味。
・英語なら I want Asashoryu to beat Hakuho.
②白鵬が勝ってほしい。
・白鵬が「朝青龍に勝つ」ことを望むという意味。
・英語なら I want Hakuho to beat Asashoryu.
今回は話者の立場が明らかなので、なんとか②の意味に取れたが、
予備知識なしに読めば、①の解釈の方が優勢であろう。
「白鵬が勝ってほしい」とか「朝青龍を敗ってほしい」とすれば誤解はなかろうが...。
試しにYahoo Japanの翻訳機能を使ってみた。
「朝青龍に勝ってほしい」は I want Asashoryu to win.(①)、
「白鵬に朝青龍に勝ってほしい」は I want Hakuho to beat Asashoryu.(②)でうまく行くが、
正確さを期して「白鵬が朝青龍に...」とすると Hakuho wants Asashoryu to win. になってしまう...。
日本語は実に面白い...。

実際は野球の話だったのだが、ここでは相撲にたとえることにする。
まだ朝青龍が現役だった頃の話としよう。
白鵬と朝青龍の両横綱が14日目まで全勝。
千秋楽結びの一番に優勝を懸けるとする。
TVを観ていた人がこう言った。
今日は朝青龍に勝ってほしいな。
さて、この人はどちらを応援していると思いますか...?
おそらく8割以上の人が「朝青龍」と答えるだろう。妻に聞いてもそう言った。
それ以外にどんな解釈があるのか、という表情だ。
でも今回のブログの場合は(実際には野球の話だが)、そんなことはあり得ない。
だってこのブログは、白鵬ファンの管理人が彼を応援するために書いているのだから...。
(因みに私は、このたとえでは朝青龍ファンである。)
私も初めは「え?なぜ?」と思ったが、
すぐに納得が行った。
管理人は「白鵬が朝青龍に勝つ」ことを望んでいるのである。
つまりこの文は、意味が二通りに解釈できる曖昧な文ということだ。
①朝青龍が勝ってほしい。
・朝青龍の勝利を望む、朝青龍に望むものは勝利という意味。
・英語なら I want Asashoryu to beat Hakuho.
②白鵬が勝ってほしい。
・白鵬が「朝青龍に勝つ」ことを望むという意味。
・英語なら I want Hakuho to beat Asashoryu.
今回は話者の立場が明らかなので、なんとか②の意味に取れたが、
予備知識なしに読めば、①の解釈の方が優勢であろう。
「白鵬が勝ってほしい」とか「朝青龍を敗ってほしい」とすれば誤解はなかろうが...。
試しにYahoo Japanの翻訳機能を使ってみた。
「朝青龍に勝ってほしい」は I want Asashoryu to win.(①)、
「白鵬に朝青龍に勝ってほしい」は I want Hakuho to beat Asashoryu.(②)でうまく行くが、
正確さを期して「白鵬が朝青龍に...」とすると Hakuho wants Asashoryu to win. になってしまう...。
日本語は実に面白い...。

2010年08月05日
西瓜の詩
山村暮鳥という詩人がいる。
明治から大正期に活躍した人で、「雲」と題する一編は有名だ。
おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平(いはきたひら)の方までゆくんか
以前公文の本部に勤めていたことがある。
ちょうど3人の子どもが生まれた時期だ。
もちろん公文式の幼児教材はやらせたし、
「漢字カード」や「俳句カード」「詩のカード」も至る所に貼っていた。
俳句や詩のカードは大人も一緒に楽しめて楽しかった。
子どもが大きくなるにつれ、その間に引越を何度も繰り返したこともあり、
いつしかカード類はダンボール箱の底に埋もれていた。
昨年から塾で、「今月の俳句・短歌」を覚えさせるようになった。
「俳句カード」で印象に残っていた句も多数利用させてもらっている。
最近になって妻が、「詩のカード」を引っ張り出し、
トイレに3編ずつ掲示するようになった。
更新は妻の気分次第なので、極めて不定期であるが、
落ち着いた環境で否応なく目に入るので、すぐに覚えてしまう。
「ああ、こんなのもあったな...」と懐かしくなる。
先月だったか、「西瓜の詩」があった。
この短い詩は強烈に記憶に残っている。
ほのぼのとしたユーモアがあって、子どもたちもすぐに覚えてしまった。
あれから十数年経つが、今でも西瓜を見るたびに口ずさんでいる。
どうも不思議で
たまらない
叩かれると
西瓜め
ぽこぽこといふ
これが山村暮鳥の作であったことは今回初めて知った。
昨年からずっと注目している詩人だ。
塾に掲示する俳句や詩を集めているときに、
「風景」という題の鮮烈な詩に出会ったのだ。
(これはまた、その季節(春)になったらご紹介する...。)
なるほど、彼の詩だったのか。
さすがだ...。
青空文庫から、「西瓜の詩」が含まれている詩集をダウンロードしてみる。
読んでいくと、「おお、これもそうか...。」と嬉しくなった。
これも「俳句カード」で覚えた詩だ。
林檎をしみじみみてゐると
だんだん自分も林檎になる
難しい言葉を散りばめたような理屈っぽい詩より、
私はこういう素朴な味わいの詩が好きである。

明治から大正期に活躍した人で、「雲」と題する一編は有名だ。
おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平(いはきたひら)の方までゆくんか
以前公文の本部に勤めていたことがある。
ちょうど3人の子どもが生まれた時期だ。
もちろん公文式の幼児教材はやらせたし、
「漢字カード」や「俳句カード」「詩のカード」も至る所に貼っていた。
俳句や詩のカードは大人も一緒に楽しめて楽しかった。
子どもが大きくなるにつれ、その間に引越を何度も繰り返したこともあり、
いつしかカード類はダンボール箱の底に埋もれていた。
昨年から塾で、「今月の俳句・短歌」を覚えさせるようになった。
「俳句カード」で印象に残っていた句も多数利用させてもらっている。
最近になって妻が、「詩のカード」を引っ張り出し、
トイレに3編ずつ掲示するようになった。
更新は妻の気分次第なので、極めて不定期であるが、
落ち着いた環境で否応なく目に入るので、すぐに覚えてしまう。
「ああ、こんなのもあったな...」と懐かしくなる。
先月だったか、「西瓜の詩」があった。
この短い詩は強烈に記憶に残っている。
ほのぼのとしたユーモアがあって、子どもたちもすぐに覚えてしまった。
あれから十数年経つが、今でも西瓜を見るたびに口ずさんでいる。
どうも不思議で
たまらない
叩かれると
西瓜め
ぽこぽこといふ
これが山村暮鳥の作であったことは今回初めて知った。
昨年からずっと注目している詩人だ。
塾に掲示する俳句や詩を集めているときに、
「風景」という題の鮮烈な詩に出会ったのだ。
(これはまた、その季節(春)になったらご紹介する...。)
なるほど、彼の詩だったのか。
さすがだ...。
青空文庫から、「西瓜の詩」が含まれている詩集をダウンロードしてみる。
読んでいくと、「おお、これもそうか...。」と嬉しくなった。
これも「俳句カード」で覚えた詩だ。
林檎をしみじみみてゐると
だんだん自分も林檎になる
難しい言葉を散りばめたような理屈っぽい詩より、
私はこういう素朴な味わいの詩が好きである。

2010年08月04日
何様のつもりだ!
わが家は松代の街中から3㎞ほど。
車ならすぐの距離だが、山が迫り川沿いでもあるので、道が狭い。
対向車とすれ違いができない箇所も多い。
さすがに越してきて3年を過ぎた今では、どこで対向車をやり過ごせばいいのか、
随所に待避場所を見つけてあるので、まず鉢合わせになることはない。
お互いに譲り合ってなかなかすれ違えないこともあるが、それはまあご愛敬。
腹が立つのは、こちらが譲って待っているのに、すれ違う際何のあいさつも返さない輩だ。
自分が優先なのが当たり前だと思っているのか...。
こういうのは、若者やおばさんもいるが、圧倒的におじさん(じいさんも含む)が多い。
おそらく、会社では高い地位にいる(or いた)のだろう。
社内での立場が、そのまま社外でも通用すると思っている大馬鹿者だ。
いつかは、かなり手前から待っていたのに、
携帯に夢中でこちらに一瞥もくれることなく通過していった。
「なんだ、この野郎!」と叫んだのは言うまでもない。
昨日、今日とまた腹が立った。
今は夏期講習の最中なので、朝9時頃に家を出る。
すると、2日続けて同じ車と、同じような所ですれ違った。
大きめのバンだ。
昨日も今日も、私の方が道を譲って待っていた。
ところが運転席のおばさん、何のあいさつも返さない。
昨日は、こちらが気がつく前に会釈でもしたのだろうといい方に解釈したが、
今日ははっきり見ていた。
同乗者と談笑しながら、こちらを見もしない...。
何様のつもりだ!!
車体に会社の名前がくっきりと書いてあった。
「ニ○○」という、老人ホームや介護の大手の会社だ。
そんな仕事に携わっている職員があの態度では、
サービスの内容も推して知るべしではなかろうか...。
明日もう一度チャンスがある。
また無視するようなら、会社にクレームのメールを入れようと思っている。

車ならすぐの距離だが、山が迫り川沿いでもあるので、道が狭い。
対向車とすれ違いができない箇所も多い。
さすがに越してきて3年を過ぎた今では、どこで対向車をやり過ごせばいいのか、
随所に待避場所を見つけてあるので、まず鉢合わせになることはない。
お互いに譲り合ってなかなかすれ違えないこともあるが、それはまあご愛敬。
腹が立つのは、こちらが譲って待っているのに、すれ違う際何のあいさつも返さない輩だ。
自分が優先なのが当たり前だと思っているのか...。
こういうのは、若者やおばさんもいるが、圧倒的におじさん(じいさんも含む)が多い。
おそらく、会社では高い地位にいる(or いた)のだろう。
社内での立場が、そのまま社外でも通用すると思っている大馬鹿者だ。
いつかは、かなり手前から待っていたのに、
携帯に夢中でこちらに一瞥もくれることなく通過していった。
「なんだ、この野郎!」と叫んだのは言うまでもない。
昨日、今日とまた腹が立った。
今は夏期講習の最中なので、朝9時頃に家を出る。
すると、2日続けて同じ車と、同じような所ですれ違った。
大きめのバンだ。
昨日も今日も、私の方が道を譲って待っていた。
ところが運転席のおばさん、何のあいさつも返さない。
昨日は、こちらが気がつく前に会釈でもしたのだろうといい方に解釈したが、
今日ははっきり見ていた。
同乗者と談笑しながら、こちらを見もしない...。
何様のつもりだ!!
車体に会社の名前がくっきりと書いてあった。
「ニ○○」という、老人ホームや介護の大手の会社だ。
そんな仕事に携わっている職員があの態度では、
サービスの内容も推して知るべしではなかろうか...。
明日もう一度チャンスがある。
また無視するようなら、会社にクレームのメールを入れようと思っている。

2010年08月02日
3年間で退化した?
今年から抽出方式に変わった「全国学力テスト」の結果が公表された。
一昨日の信毎では、1面に「県内中学全国下回る」という見出しが躍っていた。
小学校はそこそこ健闘したようだが、中学は国語A・B、数学A・Bすべてで全国平均を下回り、
都道府県別の順位はどれも40位前後だったとのこと。
まあ、いつも上位にいる都道府県は、それなりの対策をして臨んでいるのかも知れないし、
順位に一喜一憂することもないと思う。
それよりも、「やっぱりな...」と思わされたのが、朝日新聞の記事である。
4年目の実施となる今回は、「比較問題」というのがあったそうだ。
初回の2007年、小6で受けたものと類似する問題を、今回中3に出したのだ。
3年間でどれだけ理解が進んだかを調べる目的だという。
一例として挙げられていたのが円の面積だ。
今回、中3の問題の中に円柱の体積を求めるものがあったが、
その正答率は43.2%だった。
全体の正答率が66.1%だったのに比べるとかなり低い。
これだけでも困ったものだが、さらに注目すべきデータがあったのだ。
どこにミスがあったのかを分析した結果、
底面積を出す時点で間違えている生徒が11.9%いたというのだ。
3年前には単純に円の面積を求める問題だったが、そのときの間違いは9.3%。
つまり単純比較では、3年を経て定着するどころか、
逆にできない子が2.6ポイント増えているという結果になったのである。
円周や円の面積は、わかっていない子が本当に多い。
中学で数学が苦手な子は、かなりの割合でここがいい加減だと言っていい。
円がわからなければ、おうぎ形の面積や弧の長さなど、何をか言わんやである。
円錐の表面積など、まったくお手上げになってしまう...。
そもそも、「円周率」とは何なのか、聞いてみると満足に答えられない。
「何の何に対する率なの?」と問いかけてもわからない。
少し噛みくだいて、「率なんだから割合だ。何と何が1:3.14なの?」と聞いても、
「円の、円周に対する割合」などとわけのわからない答しか返ってこない。
円周の出し方(直径×π)と円の面積の出し方(半径×半径×π)を混同している例も多い。
単位もcm と㎠ の使い分けができていない。
面積は長さを2回掛けるからcmの2乗になるという原理がわかっていれば、
「半径×半径...」が円周になるわけないと気づくはずなのだが...。
原理や理屈をないがしろにしたまま、公式だけを覚えさせてきたのではないか。
生徒の側が安易に公式を覚えたがるという側面も否定しないが、
そうだとしても、そうなるにはどこかで
「こうやればラクだよ」的な指導が成されていたと考えざるを得ない。
円の面積がなぜ「半径×半径×3.14」で出るのかは、
小学校の教科書にもちゃんと説明が載っている。
あれを現場で、どれだけ時間をかけて理解させているのだろう。
どんな円も直径の約3倍が円周になっていることを、
実験を交えて体で納得させる授業は行われているのだろうか...。
中学生に、黙って小学5年生の教科書を手渡す度に、ついため息が出てしまうのだ...。

一昨日の信毎では、1面に「県内中学全国下回る」という見出しが躍っていた。
小学校はそこそこ健闘したようだが、中学は国語A・B、数学A・Bすべてで全国平均を下回り、
都道府県別の順位はどれも40位前後だったとのこと。
まあ、いつも上位にいる都道府県は、それなりの対策をして臨んでいるのかも知れないし、
順位に一喜一憂することもないと思う。
それよりも、「やっぱりな...」と思わされたのが、朝日新聞の記事である。
4年目の実施となる今回は、「比較問題」というのがあったそうだ。
初回の2007年、小6で受けたものと類似する問題を、今回中3に出したのだ。
3年間でどれだけ理解が進んだかを調べる目的だという。
一例として挙げられていたのが円の面積だ。
今回、中3の問題の中に円柱の体積を求めるものがあったが、
その正答率は43.2%だった。
全体の正答率が66.1%だったのに比べるとかなり低い。
これだけでも困ったものだが、さらに注目すべきデータがあったのだ。
どこにミスがあったのかを分析した結果、
底面積を出す時点で間違えている生徒が11.9%いたというのだ。
3年前には単純に円の面積を求める問題だったが、そのときの間違いは9.3%。
つまり単純比較では、3年を経て定着するどころか、
逆にできない子が2.6ポイント増えているという結果になったのである。
円周や円の面積は、わかっていない子が本当に多い。
中学で数学が苦手な子は、かなりの割合でここがいい加減だと言っていい。
円がわからなければ、おうぎ形の面積や弧の長さなど、何をか言わんやである。
円錐の表面積など、まったくお手上げになってしまう...。
そもそも、「円周率」とは何なのか、聞いてみると満足に答えられない。
「何の何に対する率なの?」と問いかけてもわからない。
少し噛みくだいて、「率なんだから割合だ。何と何が1:3.14なの?」と聞いても、
「円の、円周に対する割合」などとわけのわからない答しか返ってこない。
円周の出し方(直径×π)と円の面積の出し方(半径×半径×π)を混同している例も多い。
単位もcm と㎠ の使い分けができていない。
面積は長さを2回掛けるからcmの2乗になるという原理がわかっていれば、
「半径×半径...」が円周になるわけないと気づくはずなのだが...。
原理や理屈をないがしろにしたまま、公式だけを覚えさせてきたのではないか。
生徒の側が安易に公式を覚えたがるという側面も否定しないが、
そうだとしても、そうなるにはどこかで
「こうやればラクだよ」的な指導が成されていたと考えざるを得ない。
円の面積がなぜ「半径×半径×3.14」で出るのかは、
小学校の教科書にもちゃんと説明が載っている。
あれを現場で、どれだけ時間をかけて理解させているのだろう。
どんな円も直径の約3倍が円周になっていることを、
実験を交えて体で納得させる授業は行われているのだろうか...。
中学生に、黙って小学5年生の教科書を手渡す度に、ついため息が出てしまうのだ...。
