2011年03月27日
原発、その後...
大地震からすでに2週間が経過した。
福島第一原発では、未だに暴走を止められない。
各地の放射線量の発表が、天気や花粉飛散量の予報のように日常的になってきた。
当初は最悪の事態を説明するときに盛んに使われていた「メルトダウン」という言葉を、
最近あまり耳にしない。
現にそれが起こってしまっているから、恐ろしくて使えないのか...。
「直ちに人体に影響はないレベル」の、「直ちに」が気になる。
今は大丈夫でも、数年後、数十年後に影響が出るのでは困る。
それが放射能の恐ろしさなのだから...。
原発近くの海で、高濃度の放射能汚染が確認された。
普段から漁をしている海域ではないし、拡散するので大丈夫と言っているが、
温かい水を求めてもともと魚が集まる所である。
魚が汚染されれば体内で濃縮され、放射線レベルはさらに高まるだろう。
それをまた大きな魚が食べて...。
回遊魚が汚染されれば、日本だけの危機ではなくなる。
避難指示が出ている地域では、犠牲者の遺体収容も滞っていると聞く。
いったいいつになったら戻れるのか...。
大気中の放射線量が減っても、土壌や水は汚染されているだろう。
風評被害も含め、農業や漁業はいつ再建できるのか、見通しも立たないに違いない。
避難している人の中にも、それでも原発は必要だと言う人がいる。
他に働き場所がないからだと...。
では、初めから原発など造りようがない山間部の過疎地はどうするのだ?原発なんかなくたって何とかやっている。
決して余裕のある暮らしではないかも知れないが、
目に見えない恐怖に晒されることはなく、穏やかに生活しているではないか。
原発ってよほど待遇がいいのだろうか...。
ドイツでは、原発の即時停止を求める大規模なデモが起きている。
日本も、原発の問題を含め、暮らし方を根本から考え直す時期にあることは間違いないだろう。

※ 29日から春期講習が始まり多忙になります。しばらく記事がアップできませんのでご了承ください。
福島第一原発では、未だに暴走を止められない。
各地の放射線量の発表が、天気や花粉飛散量の予報のように日常的になってきた。
当初は最悪の事態を説明するときに盛んに使われていた「メルトダウン」という言葉を、
最近あまり耳にしない。
現にそれが起こってしまっているから、恐ろしくて使えないのか...。
「直ちに人体に影響はないレベル」の、「直ちに」が気になる。
今は大丈夫でも、数年後、数十年後に影響が出るのでは困る。
それが放射能の恐ろしさなのだから...。
原発近くの海で、高濃度の放射能汚染が確認された。
普段から漁をしている海域ではないし、拡散するので大丈夫と言っているが、
温かい水を求めてもともと魚が集まる所である。
魚が汚染されれば体内で濃縮され、放射線レベルはさらに高まるだろう。
それをまた大きな魚が食べて...。
回遊魚が汚染されれば、日本だけの危機ではなくなる。
避難指示が出ている地域では、犠牲者の遺体収容も滞っていると聞く。
いったいいつになったら戻れるのか...。
大気中の放射線量が減っても、土壌や水は汚染されているだろう。
風評被害も含め、農業や漁業はいつ再建できるのか、見通しも立たないに違いない。
避難している人の中にも、それでも原発は必要だと言う人がいる。
他に働き場所がないからだと...。
では、初めから原発など造りようがない山間部の過疎地はどうするのだ?原発なんかなくたって何とかやっている。
決して余裕のある暮らしではないかも知れないが、
目に見えない恐怖に晒されることはなく、穏やかに生活しているではないか。
原発ってよほど待遇がいいのだろうか...。
ドイツでは、原発の即時停止を求める大規模なデモが起きている。
日本も、原発の問題を含め、暮らし方を根本から考え直す時期にあることは間違いないだろう。

※ 29日から春期講習が始まり多忙になります。しばらく記事がアップできませんのでご了承ください。
2011年03月21日
「マイピクチャ」が消えた!
PCの動作が鈍いので、いつものように再起動する。
「プロファイルを読み込めません。
プロファイルが壊れている可能性があります。
管理者に問い合わせてください。」というメッセージ。
続けて
「ローカルプロファイルが見つかりません。
一時的なプロファイルでログインします。
ログオフ時にこのプロファイルは失われます。」と出た。
なんかいやな予感...。
そのまま待っていると、見慣れたデスクトップが現れた。
でも、アイコンの数がずいぶん少ない。
一部のアプリケーションは残っているが、元の半分もない感じだ。
データが心配になって調べる。
「マイドキュメント」に入っていた大量のファイルがない!
「マイピクチャ」の画像もからっぽだ...。
あわてて方々探したら、「ownerのドキュメント」という所にあった。
「ownerのピクチャ」というフォルダに写真も発見。
ホッとして、とりあえず「ownerのピクチャ」を「マイピクチャ」に移動した。
結果的にはこの行為が命取りになったようだ。
せめて「コピー」にしておけばよかったのだが...。
ネットで調べたら、新しいアカウントを作れとのこと。
すぐに作成し、いったんログオフして新アカウントでログオン。
すると「マイピクチャ」にはまた何もない。
さっき見つけた「ownerのピクチャ」もどこかへ行ってしまった...。
その後いろいろ探すも未だ見つからず...。
「お気に入り」やメールのデータ、は復元できたのだが、写真だけが戻らない。
昔の写真は一度外付けHDDにコピーしたことあるので大丈夫だが、
最近のはバックアップしていなかった。
今、データ復元ソフトの「体験版」を試している。
これでうまく行けば、少々の出費は惜しまないつもりだが...。
どなたかPCに詳しい方、何かアドバイスがあれば教えてください。

「プロファイルを読み込めません。
プロファイルが壊れている可能性があります。
管理者に問い合わせてください。」というメッセージ。
続けて
「ローカルプロファイルが見つかりません。
一時的なプロファイルでログインします。
ログオフ時にこのプロファイルは失われます。」と出た。
なんかいやな予感...。
そのまま待っていると、見慣れたデスクトップが現れた。
でも、アイコンの数がずいぶん少ない。
一部のアプリケーションは残っているが、元の半分もない感じだ。
データが心配になって調べる。
「マイドキュメント」に入っていた大量のファイルがない!
「マイピクチャ」の画像もからっぽだ...。
あわてて方々探したら、「ownerのドキュメント」という所にあった。
「ownerのピクチャ」というフォルダに写真も発見。
ホッとして、とりあえず「ownerのピクチャ」を「マイピクチャ」に移動した。
結果的にはこの行為が命取りになったようだ。
せめて「コピー」にしておけばよかったのだが...。
ネットで調べたら、新しいアカウントを作れとのこと。
すぐに作成し、いったんログオフして新アカウントでログオン。
すると「マイピクチャ」にはまた何もない。
さっき見つけた「ownerのピクチャ」もどこかへ行ってしまった...。
その後いろいろ探すも未だ見つからず...。
「お気に入り」やメールのデータ、は復元できたのだが、写真だけが戻らない。
昔の写真は一度外付けHDDにコピーしたことあるので大丈夫だが、
最近のはバックアップしていなかった。
今、データ復元ソフトの「体験版」を試している。
これでうまく行けば、少々の出費は惜しまないつもりだが...。
どなたかPCに詳しい方、何かアドバイスがあれば教えてください。

2011年03月16日
原発は本当に必要か?
大震災で福島の原発が大変なことになっている。
東京電力の対応は、余計な刺激を与えないようにという配慮からか、
妙に冷静すぎる感じが否めない。
のんきすぎると言ってもいいくらいだ。
燃料棒がすべて露出するなんて、かなり危険なことではないのか?
海外の反応はもっと深刻だ。
「東京に原発を」という本が売れたのは30年も前のことだ。
原発が絶対安全だというなら、送電コストも安くなる東京に造ればいい。
想定被害が少ない地方に造るのは、万が一ということがあるからに他ならない。
この、地方に負担を押しつけて都会は恩恵だけを受けるという構図は、どうにかならないものか。
県内のダムも東京へ送電しているものばかりだ。
そんなことだから、東京への一極集中がますます進むのだ。
利益を受けるなら、リスクも合わせて受容すべきではないか...。
おいしい所だけ持って行こうなんて虫がよすぎる。
昨日の信濃毎日新聞にも、どこかの助教授のそんな意見が載っていた。
なんだか、今行われている計画停電も、東電の策略かと疑念を抱いてしまう。
原発が機能しないとこんなに大変なことになりますよ。
だから原発は必要です。
もっとどんどん増やしましょう。
という筋書きになるような...。
原発は本当に必要なのか?
今回のような危険を加味してまで、CO2を出さないというメリットが優先されるべきなのか?
世界各国も原発のあり方を再考し出している。
日本もこれを機会に、エネルギー問題をどうするのか、
徹底的に議論すべきだと思う。
その際の一つの視点として、拡大成長を望まない、
エネルギーの消費を縮小するという選択もありだと思う。
原発に頼らざるを得ないくらいなら、電力の不足も我慢するという立場だ。
そういう意味では、今回の計画停電もいい機会になるかもしれない。
無駄な照明や過度の空調はやめる。
ご飯は鍋で炊き、お湯はやかんで沸かす。
まず需要ありきではなく、供給量の中でやりくりするという路線は取れないものだろうか...。
終わりに一つの文章を紹介しておく。
かつて原発の現場で働いていたという人が書かれたものだ。
「原発がどんなものか知ってほしい」

p.s.通信回線が込んでいる影響か、メールが滞っていることがあるようだ。
震災当日の千葉からのメールは、深夜にまとめて3通届いた。
パソコンに届くメールもいつもより少ない。
大量に舞い込む迷惑メールも極端に少ないのはありがたいが...。
東京電力の対応は、余計な刺激を与えないようにという配慮からか、
妙に冷静すぎる感じが否めない。
のんきすぎると言ってもいいくらいだ。
燃料棒がすべて露出するなんて、かなり危険なことではないのか?
海外の反応はもっと深刻だ。
「東京に原発を」という本が売れたのは30年も前のことだ。
原発が絶対安全だというなら、送電コストも安くなる東京に造ればいい。
想定被害が少ない地方に造るのは、万が一ということがあるからに他ならない。
この、地方に負担を押しつけて都会は恩恵だけを受けるという構図は、どうにかならないものか。
県内のダムも東京へ送電しているものばかりだ。
そんなことだから、東京への一極集中がますます進むのだ。
利益を受けるなら、リスクも合わせて受容すべきではないか...。
おいしい所だけ持って行こうなんて虫がよすぎる。
昨日の信濃毎日新聞にも、どこかの助教授のそんな意見が載っていた。
なんだか、今行われている計画停電も、東電の策略かと疑念を抱いてしまう。
原発が機能しないとこんなに大変なことになりますよ。
だから原発は必要です。
もっとどんどん増やしましょう。
という筋書きになるような...。
原発は本当に必要なのか?
今回のような危険を加味してまで、CO2を出さないというメリットが優先されるべきなのか?
世界各国も原発のあり方を再考し出している。
日本もこれを機会に、エネルギー問題をどうするのか、
徹底的に議論すべきだと思う。
その際の一つの視点として、拡大成長を望まない、
エネルギーの消費を縮小するという選択もありだと思う。
原発に頼らざるを得ないくらいなら、電力の不足も我慢するという立場だ。
そういう意味では、今回の計画停電もいい機会になるかもしれない。
無駄な照明や過度の空調はやめる。
ご飯は鍋で炊き、お湯はやかんで沸かす。
まず需要ありきではなく、供給量の中でやりくりするという路線は取れないものだろうか...。
終わりに一つの文章を紹介しておく。
かつて原発の現場で働いていたという人が書かれたものだ。
「原発がどんなものか知ってほしい」

p.s.通信回線が込んでいる影響か、メールが滞っていることがあるようだ。
震災当日の千葉からのメールは、深夜にまとめて3通届いた。
パソコンに届くメールもいつもより少ない。
大量に舞い込む迷惑メールも極端に少ないのはありがたいが...。
2011年03月11日
比べる力~その2~
前回の続き。
上手に比べるためには、論理的な思考力が不可欠である。
たとえばミカンとリンゴを比べる。
「ミカンは手で皮をむくことができる」とだけ言うより、
「リンゴは包丁がないと皮をむけないが、」を前に補った方が違いがはっきりする。
「リンゴは赤いが、ミカンはオレンジ色だ」と言うこともできる。
先ほどとは違う観点からの比較だ。
いくつかの例を挙げ、その観点を答えさせるのも面白い。
ここまでの例では、一つ目が「食べやすさ」、二つ目が「色」などとなる。
逆に観点を与え、比べる文を作らせてもいいだろう。
「産地」という観点からは、
「リンゴは主に寒い地方で栽培されるが、ミカンは主に暖かい地方で栽培される」などが期待される。
いきなり全文を書かせるのが難しければ、
「リンゴは~」の部分は予め示しておいて、続きを答えさせてもいい。
さらに、両者の違いを際立たせるためには、あえて共通点に言及することも重要だ。
「リンゴもミカンも冬が旬の果物だが、」に続けて上記の違いを述べた方が、より訴求力が増す。
この練習は小学生から十分可能だ。
「扇風機とうちわはどこが同じでどこが違うか?」
「鉛筆とクレヨンの共通点と違いは?」など、身近な物をいくらでも題材にできる。
今まで述べてきた比較より一歩進んだ形が、比べる物自体を考えさせるものである。
これは「ふくしま国語塾」主宰の福嶋隆史氏が実践されている方法で、
「○○は××である。それに対して...」の続きを答えさせる問題だ。
○○と対になる言葉を考え、××の反対語をつなげる。
たとえば「夏は暑い。それに対して...」には「冬は寒い」となるわけだ。
これなら簡単だが、
「昨日とは過去であり、変えることができない。それに対して...」になるとぐんと難しい。
「昨日」の対は何か...?
「今日」と答える子もいるそうだが、ベストはやはり「明日」だとのこと。
言語力、論理力を鍛える教材の一つの柱として、
「比べる力」を体系的に養う問題を盛り込んでいきたいと考えている。

<画像について>松代・真田邸の釘隠その3です。
上手に比べるためには、論理的な思考力が不可欠である。
たとえばミカンとリンゴを比べる。
「ミカンは手で皮をむくことができる」とだけ言うより、
「リンゴは包丁がないと皮をむけないが、」を前に補った方が違いがはっきりする。
「リンゴは赤いが、ミカンはオレンジ色だ」と言うこともできる。
先ほどとは違う観点からの比較だ。
いくつかの例を挙げ、その観点を答えさせるのも面白い。
ここまでの例では、一つ目が「食べやすさ」、二つ目が「色」などとなる。
逆に観点を与え、比べる文を作らせてもいいだろう。
「産地」という観点からは、
「リンゴは主に寒い地方で栽培されるが、ミカンは主に暖かい地方で栽培される」などが期待される。
いきなり全文を書かせるのが難しければ、
「リンゴは~」の部分は予め示しておいて、続きを答えさせてもいい。
さらに、両者の違いを際立たせるためには、あえて共通点に言及することも重要だ。
「リンゴもミカンも冬が旬の果物だが、」に続けて上記の違いを述べた方が、より訴求力が増す。
この練習は小学生から十分可能だ。
「扇風機とうちわはどこが同じでどこが違うか?」
「鉛筆とクレヨンの共通点と違いは?」など、身近な物をいくらでも題材にできる。
今まで述べてきた比較より一歩進んだ形が、比べる物自体を考えさせるものである。
これは「ふくしま国語塾」主宰の福嶋隆史氏が実践されている方法で、
「○○は××である。それに対して...」の続きを答えさせる問題だ。
○○と対になる言葉を考え、××の反対語をつなげる。
たとえば「夏は暑い。それに対して...」には「冬は寒い」となるわけだ。
これなら簡単だが、
「昨日とは過去であり、変えることができない。それに対して...」になるとぐんと難しい。
「昨日」の対は何か...?
「今日」と答える子もいるそうだが、ベストはやはり「明日」だとのこと。
言語力、論理力を鍛える教材の一つの柱として、
「比べる力」を体系的に養う問題を盛り込んでいきたいと考えている。

<画像について>松代・真田邸の釘隠その3です。
2011年03月06日
比べる力
白鳥の 沼のほとりを 郵便夫
松代の塾では毎月生徒たちに俳句・短歌を覚えさせている。
月初めに季節に合ったものを7~8個選び、リストを渡す。
同時に教室内にも掲示する。
月の終わりにはチェックだ。
俳句なら初めの「五」だけが書いてあり、残りの「七・五」を埋めさせる。
短歌の場合は上の句の「五」と下の句の「七」がヒントになっている。
リストに挙げたうち、3個できれば合格だが、毎回苦労している子も多い。
冒頭の句は田中憲二郎という人の作である。
2月の俳句に採用した。
これを選んだ子の答を見て、あることに気づいた。
「沼のほとりを」を「沼のほとりに」とする子が多いのだ。
「に」が違うと言うと、「沼のほとりの」にして来る子もいた。
「に」や「の」では元句の情景が伝わらない。
そこで2月のチェックとは別に、単独の問題を急遽作成して中学生全員に与えた。
まず元句を掲載し、「白鳥の群れる沼のほとりを郵便夫が通り過ぎて行く」という解説を付ける。
次に「~を」を「~に」に換えた句を載せ、元の句と比べてどんな違いが感じられるかを答えさせるのだ。
何となく違うのは皆すぐわかるようだ。
問題はそれをどう言葉にするか...。
多いのは、「~に」だと郵便夫がいる感じになるという答。
確かに「~郵便夫」の後に言葉を補うなら(筆が進まない子にはこうヒントを出す)、
「~を」には「行く」や「通る」、「~に」には「いる」である。
しかし、この答では両者の比べ方として物足りない。
「~を」でも、情景の中に郵便夫が「いる」ことに変わりはないのではないか...。
元の句ではこうだが「~に」に換えるとこうなるという、違いを明確にした説明がほしい。
模範解答はこんな感じか...。
「~を」だと郵便夫が通り過ぎて行く様子が浮かぶが、
「~に」だと郵便夫が立ち止まっている感じになる。
もっと簡潔に言うなら、こんなのはどうだろう。
「~を」には郵便夫の動きが感じられるが、「~に」には感じられない。
比べる力を鍛えることは論理力の養成に役立つ。
詳しくは、また次回に...。

<画像について>真田邸の釘隠No.2。何かのスイッチのようなシンプルバージョン。
松代の塾では毎月生徒たちに俳句・短歌を覚えさせている。
月初めに季節に合ったものを7~8個選び、リストを渡す。
同時に教室内にも掲示する。
月の終わりにはチェックだ。
俳句なら初めの「五」だけが書いてあり、残りの「七・五」を埋めさせる。
短歌の場合は上の句の「五」と下の句の「七」がヒントになっている。
リストに挙げたうち、3個できれば合格だが、毎回苦労している子も多い。
冒頭の句は田中憲二郎という人の作である。
2月の俳句に採用した。
これを選んだ子の答を見て、あることに気づいた。
「沼のほとりを」を「沼のほとりに」とする子が多いのだ。
「に」が違うと言うと、「沼のほとりの」にして来る子もいた。
「に」や「の」では元句の情景が伝わらない。
そこで2月のチェックとは別に、単独の問題を急遽作成して中学生全員に与えた。
まず元句を掲載し、「白鳥の群れる沼のほとりを郵便夫が通り過ぎて行く」という解説を付ける。
次に「~を」を「~に」に換えた句を載せ、元の句と比べてどんな違いが感じられるかを答えさせるのだ。
何となく違うのは皆すぐわかるようだ。
問題はそれをどう言葉にするか...。
多いのは、「~に」だと郵便夫がいる感じになるという答。
確かに「~郵便夫」の後に言葉を補うなら(筆が進まない子にはこうヒントを出す)、
「~を」には「行く」や「通る」、「~に」には「いる」である。
しかし、この答では両者の比べ方として物足りない。
「~を」でも、情景の中に郵便夫が「いる」ことに変わりはないのではないか...。
元の句ではこうだが「~に」に換えるとこうなるという、違いを明確にした説明がほしい。
模範解答はこんな感じか...。
「~を」だと郵便夫が通り過ぎて行く様子が浮かぶが、
「~に」だと郵便夫が立ち止まっている感じになる。
もっと簡潔に言うなら、こんなのはどうだろう。
「~を」には郵便夫の動きが感じられるが、「~に」には感じられない。
比べる力を鍛えることは論理力の養成に役立つ。
詳しくは、また次回に...。

<画像について>真田邸の釘隠No.2。何かのスイッチのようなシンプルバージョン。