2011年04月30日
新聞を読め!
新聞を取らない家庭が増えているという。
塾の生徒の家でも同様だ。
忙しくて読む暇がない、必要な情報はテレビやネットで手に入れれば十分という考え方のようだ。
うちの子は国語ができないと嘆く家庭に限って、新聞を取っていないことが多い。
子どもは驚くほど言葉を知らない。
社会常識も乏しい。
塾では国語力をつける方法の一つとして、
新聞の読者投稿を書き写し、要約したり感想を書いたりすることを勧めている。
だが、肝心の新聞が家庭にないのでは話にならない。
新聞があっても、子どもはテレビ欄くらいしか見ないかも知れない。
それでもやがて、たまにでもスポーツ欄や家庭欄を見る子どもが出でくる。
何より、大人が新聞を読んでいる風景、日常的に活字が身近にある環境が大切なのだ。
新聞読む暇がないと言いながら、テレビは長時間見ている。
親がそうであれば、子どもも当然そうなるだろう。
国語力の基礎は家庭生活にあることは言うまでもない。
「新聞を取る」という表現を知らない子もいる。
オリジナル教材で「新聞を取っていないこと」が正解の問題があるのだが、
「新聞を読んでいない」「~買っていない」「~配達していない」などと書いてくる。
「買っていない」では、駅の売店を連想してしまう。
「配達していない」って、新聞販売店ではあるまいし...。
毎朝定期的に家に届けてもらうという日本の文化は、
やがて消え去っていくのか...。
前にも書いたが、確かにネットは効率的だが、それ故に寄り道ができない。
新聞なら目的の情報とともに、その他の「無駄な話」も仕入れることができる。
今は無駄に思えても、いつそれが役に立つかわからない。
たとえ実利的な得はなくても、
幅広い知識や常識、教養を身につけるためには、この寄り道こそが欠かせないのだ。
今知りたい情報、すぐに役に立つ知識ばかりを詰め込んでいては、薄っぺらな人間にしかなれない。
家庭にはまず、新聞や本などの活字がある環境を作ってもらいたい。
私は自宅と塾で2誌を取り、毎日切り抜きをしている。
忙しいときは面倒に思うこともあるが、寄り道で世界が広がる体験は捨てがたい。
一日の中でも贅沢な時間だと思っている。

塾の生徒の家でも同様だ。
忙しくて読む暇がない、必要な情報はテレビやネットで手に入れれば十分という考え方のようだ。
うちの子は国語ができないと嘆く家庭に限って、新聞を取っていないことが多い。
子どもは驚くほど言葉を知らない。
社会常識も乏しい。
塾では国語力をつける方法の一つとして、
新聞の読者投稿を書き写し、要約したり感想を書いたりすることを勧めている。
だが、肝心の新聞が家庭にないのでは話にならない。
新聞があっても、子どもはテレビ欄くらいしか見ないかも知れない。
それでもやがて、たまにでもスポーツ欄や家庭欄を見る子どもが出でくる。
何より、大人が新聞を読んでいる風景、日常的に活字が身近にある環境が大切なのだ。
新聞読む暇がないと言いながら、テレビは長時間見ている。
親がそうであれば、子どもも当然そうなるだろう。
国語力の基礎は家庭生活にあることは言うまでもない。
「新聞を取る」という表現を知らない子もいる。
オリジナル教材で「新聞を取っていないこと」が正解の問題があるのだが、
「新聞を読んでいない」「~買っていない」「~配達していない」などと書いてくる。
「買っていない」では、駅の売店を連想してしまう。
「配達していない」って、新聞販売店ではあるまいし...。
毎朝定期的に家に届けてもらうという日本の文化は、
やがて消え去っていくのか...。
前にも書いたが、確かにネットは効率的だが、それ故に寄り道ができない。
新聞なら目的の情報とともに、その他の「無駄な話」も仕入れることができる。
今は無駄に思えても、いつそれが役に立つかわからない。
たとえ実利的な得はなくても、
幅広い知識や常識、教養を身につけるためには、この寄り道こそが欠かせないのだ。
今知りたい情報、すぐに役に立つ知識ばかりを詰め込んでいては、薄っぺらな人間にしかなれない。
家庭にはまず、新聞や本などの活字がある環境を作ってもらいたい。
私は自宅と塾で2誌を取り、毎日切り抜きをしている。
忙しいときは面倒に思うこともあるが、寄り道で世界が広がる体験は捨てがたい。
一日の中でも贅沢な時間だと思っている。
2011年04月23日
尼巌山に登った
4月10日、地元松代の尼巌山(あまかざりやま)に登った。
松代の町から見ると、まさに尼さんの頭のような、こんもりした山容が目立つ。
近年、隣の奇妙山と併せてトレッキングコースが整備されたと聞いていたので、
一度は行ってみたいと思っていた。
妻と娘がお世話になっている自動車屋さんの通信で、
「尼巌山に登りましょう」という募集を目にした。
ベテランさんが案内してくれるらしい。
これはいいなと思っていたら、松代住民自治協主催のトレッキングも見つけた。
なんと同じ日だ。
どっちに行こうかと迷ったが、
自治協の方はハガキで申し込まねばならず、定員も100名と多い。
申し込みも山行も気軽な方がいいので、車屋さんの方に参加した。
登山なんて何年ぶりだろう?
...いや、何十年ぶりか...。
ともに、普段からほとんど運動らしきことをしていない妻は、
登れるかな?と不安そうだ。
まあ、標高800mに満たない低山ならなんとかなるんじゃないか...。
当日になった。
お目当ての一つ、松代東条のアンズは一週間早かった。
少しガスっていて北アルプスや戸隠連峰もうっすらとしか見えない。
しかし、天気は良好。気温もちょうどいい。
同行者は、私たちも入れて総勢8名。
年配者ばかりだ。
登山口まで車で連れて行ってもらい、そこから登り始める。
初めはよかったが、少し行ったらいきなり急斜面になった。
トレッキングコースの赤いリボンを目印に、林の中を進む。
ここで早くも、主催者の「社長」(女性)が脱落。
足が悪く、取りあえず来てみたが、これは無理と判断したようだ。
私も、わずか十数分登っただけで呼吸が荒くなる。
皆の総意で1回目の休憩...。
自治協の100名が来る前に山頂に到達したいが、
このペースでは1時間以上かかりそうだ。
先が思いやられる...。
結論から言うと、
この山、低いからとなめてかかってはいけない。
ピクニック気分で歩ける道などほとんどない。
木や鎖を握り、地面や岩に手をつきながら進まなければならない所だらけだった。
帰りは別ルートを下ったが、こちらも条件は同じ。
下りの方がすべって怖い。
足への負担をひしひしと感じた。
名前に「巌」が入っているとおり、全体的に岩の山なのだ。
200~500年前に噴出した溶岩が固まってできているという。
修験道に最適と思われる場所もあった。
山頂には城跡もあるが、こんな所によく城を構えたものだと感心する。
出発時には着ていたトレーナーをリュックに仕舞い、
さらに薄いジャンパーも脱いで下山したが、
それでも背中は汗びっしょりだった。
きつかったが、景色は期待していた以上だった。
途中の「立見岩」からの松代の眺望は、まさに鳥になった気分。
頂上からは、反対側の長野市街が一望できる。
降りてきた玉依比売命神社のケヤキも見事。
その後は、妻とオリンピックスタジアムへ向かった。
信濃グランセローズの、復興支援練習試合。
途中で猛烈に眠くなって、途中で帰って来た。
翌日からいつ筋肉が痛くなるかと怯えていた足も、それほど痛まず...。
また近場の山に登ってみたいという気持ちも、今のところ半分くらいはある。
家のすぐ裏のノロシ山もその候補の一つなのだが、
なんだかクマが多そうでためらってしまう。
今回のように少人数のグループで案内人がいてくれる催しがあれば、
前向きに検討してみたい。



松代の町から見ると、まさに尼さんの頭のような、こんもりした山容が目立つ。
近年、隣の奇妙山と併せてトレッキングコースが整備されたと聞いていたので、
一度は行ってみたいと思っていた。
妻と娘がお世話になっている自動車屋さんの通信で、
「尼巌山に登りましょう」という募集を目にした。
ベテランさんが案内してくれるらしい。
これはいいなと思っていたら、松代住民自治協主催のトレッキングも見つけた。
なんと同じ日だ。
どっちに行こうかと迷ったが、
自治協の方はハガキで申し込まねばならず、定員も100名と多い。
申し込みも山行も気軽な方がいいので、車屋さんの方に参加した。
登山なんて何年ぶりだろう?
...いや、何十年ぶりか...。
ともに、普段からほとんど運動らしきことをしていない妻は、
登れるかな?と不安そうだ。
まあ、標高800mに満たない低山ならなんとかなるんじゃないか...。
当日になった。
お目当ての一つ、松代東条のアンズは一週間早かった。
少しガスっていて北アルプスや戸隠連峰もうっすらとしか見えない。
しかし、天気は良好。気温もちょうどいい。
同行者は、私たちも入れて総勢8名。
年配者ばかりだ。
登山口まで車で連れて行ってもらい、そこから登り始める。
初めはよかったが、少し行ったらいきなり急斜面になった。
トレッキングコースの赤いリボンを目印に、林の中を進む。
ここで早くも、主催者の「社長」(女性)が脱落。
足が悪く、取りあえず来てみたが、これは無理と判断したようだ。
私も、わずか十数分登っただけで呼吸が荒くなる。
皆の総意で1回目の休憩...。
自治協の100名が来る前に山頂に到達したいが、
このペースでは1時間以上かかりそうだ。
先が思いやられる...。
結論から言うと、
この山、低いからとなめてかかってはいけない。
ピクニック気分で歩ける道などほとんどない。
木や鎖を握り、地面や岩に手をつきながら進まなければならない所だらけだった。
帰りは別ルートを下ったが、こちらも条件は同じ。
下りの方がすべって怖い。
足への負担をひしひしと感じた。
名前に「巌」が入っているとおり、全体的に岩の山なのだ。
200~500年前に噴出した溶岩が固まってできているという。
修験道に最適と思われる場所もあった。
山頂には城跡もあるが、こんな所によく城を構えたものだと感心する。
出発時には着ていたトレーナーをリュックに仕舞い、
さらに薄いジャンパーも脱いで下山したが、
それでも背中は汗びっしょりだった。
きつかったが、景色は期待していた以上だった。
途中の「立見岩」からの松代の眺望は、まさに鳥になった気分。
頂上からは、反対側の長野市街が一望できる。
降りてきた玉依比売命神社のケヤキも見事。
その後は、妻とオリンピックスタジアムへ向かった。
信濃グランセローズの、復興支援練習試合。
途中で猛烈に眠くなって、途中で帰って来た。
翌日からいつ筋肉が痛くなるかと怯えていた足も、それほど痛まず...。
また近場の山に登ってみたいという気持ちも、今のところ半分くらいはある。
家のすぐ裏のノロシ山もその候補の一つなのだが、
なんだかクマが多そうでためらってしまう。
今回のように少人数のグループで案内人がいてくれる催しがあれば、
前向きに検討してみたい。



2011年04月18日
「てん」で話にならない
小学生の国語の問題。
(問)次の2つの文を1つの文にしなさい。
風が吹いた。そして雨が降ってきた。
ただ「○」を「、」に換えるだけの子がいる。
風が吹いた、そして雨が降ってきた。
う~ん...。
実はこれはまだいい方で、「、」さえ付けない子もいる。
風が吹いたそして雨が降ってきた。
こうなるともはや日本語とは言い難い。
正解例はもちろん、
風が吹き、雨が降ってきた。
あるいは
風が吹いて、雨が降ってきた。
後の方は「、」がなくてもいいが、「風が吹き」には「、」がほしい。
「、」のない答えの子に「どこかに点がいるなあ」と言うと、こうやった。
風が、吹き雨が降ってきた。
そんなとこで切らないだろう!
声に出して読んでごらん...。
中学生を見ていても、どうも主語の後に自動的に読点を付けたがる子が多い。
おじいさんは、山へ柴刈りに、おばあさんは、川へ洗濯に...。
読点は多ければいいというものではない。
こう細切れにされてはリズムが悪すぎて読みにくい。
「~柴刈りに」の後に打つだけで十分だろう。
逆に、中3になってもまったく読点のない文章を書いてくる生徒もいる。
ひどいのになると句点(○)さえない...。
句読点の打ち方は筆者の裁量に任される部分も多いが、
基本的なルールだけは全員に身につけさせるべきだろう。
主述関係のねじれ、接続詞や接続助詞のいい加減さなども目につく。
今の学校教育では、そういった技術的な指導はほとんど成されていないのではないか。
新美南吉作「おじいさんのランプ」を題材とした中学生向け国語教材が、
現在最後の仕上げ段階に入っている。
今月中にはほぼ完成予定だ。
それが終わったら、より基礎的な国語教材を作ろうと思う。
より高度なものを先に作るつもりだったのだが、
どうも順番を逆にした方がよさそうである...。

※画像は松代・尼巌山山頂のヒオドシチョウ。登山記録は後日掲載予定。
(問)次の2つの文を1つの文にしなさい。
風が吹いた。そして雨が降ってきた。
ただ「○」を「、」に換えるだけの子がいる。
風が吹いた、そして雨が降ってきた。
う~ん...。
実はこれはまだいい方で、「、」さえ付けない子もいる。
風が吹いたそして雨が降ってきた。
こうなるともはや日本語とは言い難い。
正解例はもちろん、
風が吹き、雨が降ってきた。
あるいは
風が吹いて、雨が降ってきた。
後の方は「、」がなくてもいいが、「風が吹き」には「、」がほしい。
「、」のない答えの子に「どこかに点がいるなあ」と言うと、こうやった。
風が、吹き雨が降ってきた。
そんなとこで切らないだろう!
声に出して読んでごらん...。
中学生を見ていても、どうも主語の後に自動的に読点を付けたがる子が多い。
おじいさんは、山へ柴刈りに、おばあさんは、川へ洗濯に...。
読点は多ければいいというものではない。
こう細切れにされてはリズムが悪すぎて読みにくい。
「~柴刈りに」の後に打つだけで十分だろう。
逆に、中3になってもまったく読点のない文章を書いてくる生徒もいる。
ひどいのになると句点(○)さえない...。
句読点の打ち方は筆者の裁量に任される部分も多いが、
基本的なルールだけは全員に身につけさせるべきだろう。
主述関係のねじれ、接続詞や接続助詞のいい加減さなども目につく。
今の学校教育では、そういった技術的な指導はほとんど成されていないのではないか。
新美南吉作「おじいさんのランプ」を題材とした中学生向け国語教材が、
現在最後の仕上げ段階に入っている。
今月中にはほぼ完成予定だ。
それが終わったら、より基礎的な国語教材を作ろうと思う。
より高度なものを先に作るつもりだったのだが、
どうも順番を逆にした方がよさそうである...。

※画像は松代・尼巌山山頂のヒオドシチョウ。登山記録は後日掲載予定。
2011年04月11日
会釈ぐらいしろ!
最良は小学生。
最悪はおばさんとじじい。
横断歩道を渡ろうとしているのに気づいて、車を止めたときの反応だ。
私はわりと、歩行者に道を譲ることが多い方だと思っている。
小学生は渡り終わったら「ありがとうございました!」と挨拶してくれる子が多いが、
最近は知らんふりで行ってしまう子も増えた。
おばさんとじじいは、ほとんどが「止まって当然」という顔で渡っていく。
ちょっと会釈してくれたり、手を挙げてくれるだけでも気持ちいいのに...。
そんなちょっとした気遣いもしたくないのか...。
横断歩道近くで立ち話をしていて、渡る意志があるのかないのか、
判断に苦しむ場合もある。
最近では、急いでいるときはおばさんやじじいには譲らないことも出てきた。
自分が歩行者になったときは、もちろん軽く挨拶している。
まったく、近頃の年寄りときたら...。
もう一つ、前にも一度書いたが、
道を譲ってあげたときの対向車の反応。
相変わらず福祉関係の車が礼儀知らずのことが多いのは、
いったいどういうわけか?福祉の車は優先されて当然と思っているのか...。
運転中にはできるだけ腹を立てたくないものである。

最悪はおばさんとじじい。
横断歩道を渡ろうとしているのに気づいて、車を止めたときの反応だ。
私はわりと、歩行者に道を譲ることが多い方だと思っている。
小学生は渡り終わったら「ありがとうございました!」と挨拶してくれる子が多いが、
最近は知らんふりで行ってしまう子も増えた。
おばさんとじじいは、ほとんどが「止まって当然」という顔で渡っていく。
ちょっと会釈してくれたり、手を挙げてくれるだけでも気持ちいいのに...。
そんなちょっとした気遣いもしたくないのか...。
横断歩道近くで立ち話をしていて、渡る意志があるのかないのか、
判断に苦しむ場合もある。
最近では、急いでいるときはおばさんやじじいには譲らないことも出てきた。
自分が歩行者になったときは、もちろん軽く挨拶している。
まったく、近頃の年寄りときたら...。
もう一つ、前にも一度書いたが、
道を譲ってあげたときの対向車の反応。
相変わらず福祉関係の車が礼儀知らずのことが多いのは、
いったいどういうわけか?福祉の車は優先されて当然と思っているのか...。
運転中にはできるだけ腹を立てたくないものである。

2011年04月04日
おとなしいだけでいいのか?
大地震、大津波、さらに原発騒動...。
未曾有の災害に遭っても秩序を乱さず、整然と行動する日本人のマナーに、海外からは称賛の声が上がった。
ところが、時が経つに従って疑問の方が増えてきているという。
「なぜもっと声を上げないのか?」
私も初めからそう思っていた。
日本人はおとなしすぎる...。
「おとなしい」は「大人しい」だ。
日本では、「大人である」とは自制心を持つことである。
周りの空気を読み、突出した言動をしないことである。
震災後のCMやイベントの「自粛」ムードにも、横並び意識が垣間見える。
出る杭は打たれ、「もっと大人になれ」と戒められる。
主張や不満があっても、デモなどの行動に出ることは稀である。
「若さ」は「バカさ」でもあるが、「若年寄」が多くなった。
そして歳を重ねるにつれ、より「まるくなる」ことが求められる。
先週発売された「週刊現代」にも、「優しすぎる日本人へ」と題する記事があった。
「仕方がない」で許してしまっていいのか?
なぜもっと、政府や東電を追及しないのか...?
避難所では、みな周りに迷惑をかけないよう、気を遣って暮らしているに違いない。
ストレスも貯まっているだろうが、マスコミの取材には謙虚な姿勢と感謝の言葉を忘れない。
身内に犠牲者が出た人ほど、逆に明るく振る舞ったり、率先して行動したりしているとも聞く。
素晴らしいことではあるが、心の奥底に本当の気持ちが鬱積していくことを危惧してしまう。
もっと感情を出せばいい。
泣きわめけばいい。
文句を言えばいい。
...そうは言っても、日本人には難しいだろう。
だからこそ...と誰かがラジオで言っていた。
救援物資にアルコール類も入れればいい。
酒の力を借りれば、少しは感情を表に出してすっきりすることもできるだろうと...。
大いに賛成である。
「人に迷惑をかけない」を子育ての根本に置いている家庭は多かろう。
それはもちろん、人として大切なことではある。
しかし、それだけではいいのか...。
おとなしいだけでは何も変わらない...。
もっと声を上げよう。
政府はもっと迅速に行動しろ!
「安全」と言うばかりでなく、どうなれば危険なのかを示せ!
東電は、「入院」で逃げている社長を出せ!
大本営発表を素直に信じ、どんな状況でも「仕方がない」と耐えてくれる国民ほど、
為政者にとって御しやすいものはないのである。

未曾有の災害に遭っても秩序を乱さず、整然と行動する日本人のマナーに、海外からは称賛の声が上がった。
ところが、時が経つに従って疑問の方が増えてきているという。
「なぜもっと声を上げないのか?」
私も初めからそう思っていた。
日本人はおとなしすぎる...。
「おとなしい」は「大人しい」だ。
日本では、「大人である」とは自制心を持つことである。
周りの空気を読み、突出した言動をしないことである。
震災後のCMやイベントの「自粛」ムードにも、横並び意識が垣間見える。
出る杭は打たれ、「もっと大人になれ」と戒められる。
主張や不満があっても、デモなどの行動に出ることは稀である。
「若さ」は「バカさ」でもあるが、「若年寄」が多くなった。
そして歳を重ねるにつれ、より「まるくなる」ことが求められる。
先週発売された「週刊現代」にも、「優しすぎる日本人へ」と題する記事があった。
「仕方がない」で許してしまっていいのか?
なぜもっと、政府や東電を追及しないのか...?
避難所では、みな周りに迷惑をかけないよう、気を遣って暮らしているに違いない。
ストレスも貯まっているだろうが、マスコミの取材には謙虚な姿勢と感謝の言葉を忘れない。
身内に犠牲者が出た人ほど、逆に明るく振る舞ったり、率先して行動したりしているとも聞く。
素晴らしいことではあるが、心の奥底に本当の気持ちが鬱積していくことを危惧してしまう。
もっと感情を出せばいい。
泣きわめけばいい。
文句を言えばいい。
...そうは言っても、日本人には難しいだろう。
だからこそ...と誰かがラジオで言っていた。
救援物資にアルコール類も入れればいい。
酒の力を借りれば、少しは感情を表に出してすっきりすることもできるだろうと...。
大いに賛成である。
「人に迷惑をかけない」を子育ての根本に置いている家庭は多かろう。
それはもちろん、人として大切なことではある。
しかし、それだけではいいのか...。
おとなしいだけでは何も変わらない...。
もっと声を上げよう。
政府はもっと迅速に行動しろ!
「安全」と言うばかりでなく、どうなれば危険なのかを示せ!
東電は、「入院」で逃げている社長を出せ!
大本営発表を素直に信じ、どんな状況でも「仕方がない」と耐えてくれる国民ほど、
為政者にとって御しやすいものはないのである。
