2010年12月06日
漢字のこだわり
地元の新聞店が月一度出している通信がある。
B4用紙の両面に、いろいろな新聞に載ったコラムなどが再掲されている。
いつもは信毎と朝日しか見ていないので、なかなか興味深い。
先日その通信に、朝日新聞のコラムが載っていた。
以前に読んだ記憶がないし、館山支局の記者が書いていたので、
千葉県版のみの掲載だったのかも知れない。
しかし、果たしてその新聞店が千葉県版を手に入れることができるのか...。
私が見落としていただけかも知れない。
それはともかく、コラムのタイトルは「「一所懸命」のこだわり」という。
前半は「矢先」という言葉が、「ものごとの直前」という意味だけではなく、
本来は誤用である「直後」の意味でも使われるようになったことに触れている。
三浦哲郎氏の死去を報じた朝日新聞の記事に、
「5年ぶりに随筆集を出した矢先だった」という表現があったらしい。
「随筆集が出版される矢先だった」ならわかるが、これは間違いだと思ったと言う。
ところが最近では「直後」の意味で使われることも多く、
広辞苑にさえ「事の正に始まろうとするとき、または後」とあるらしい。
その後に出てくるのが「一所懸命」だ。
記者は中学生のときの漢字テストで、「一生懸命」を「一所懸命」と書いて×をもらったそうだ。
で、懲りたかと言えば逆である。
言葉は時代とともに変わるものであり、誤用がやがて正しい使い方となるのも認めた上で、
でも、だからこそ、言葉へのこだわりを忘れずに「小さな抵抗」を続けていきたいと結んでいる。
この記者、私とそっくりだ。
以前も書いたが、私も言葉や漢字については極めて保守的な人間だ。
「一所懸命」だけは意地でも譲らない。
「(電車などが)こむ」も、「混」が正式に許容されても、
本来の「込む」を使い続けるつもりだ。
何でも「取る」で済ませるのではなく、
「獲る」「捕る」や「撮る」「録る」「摂る」「採る」「執る」をきちんと使い分けたい。
そう言えば昔、
ラブレターではあえて「思う」を「想う」 、「会う」を「逢う」と書いていたっけ...。
因みに上に挙げた「矢先」、新解さん(新明解国語辞典)では「直後」は認めていない。
「予定の行動にかかろうとする、ちょうどその時」とある。
うん、これでなくっちゃ...。

B4用紙の両面に、いろいろな新聞に載ったコラムなどが再掲されている。
いつもは信毎と朝日しか見ていないので、なかなか興味深い。
先日その通信に、朝日新聞のコラムが載っていた。
以前に読んだ記憶がないし、館山支局の記者が書いていたので、
千葉県版のみの掲載だったのかも知れない。
しかし、果たしてその新聞店が千葉県版を手に入れることができるのか...。
私が見落としていただけかも知れない。
それはともかく、コラムのタイトルは「「一所懸命」のこだわり」という。
前半は「矢先」という言葉が、「ものごとの直前」という意味だけではなく、
本来は誤用である「直後」の意味でも使われるようになったことに触れている。
三浦哲郎氏の死去を報じた朝日新聞の記事に、
「5年ぶりに随筆集を出した矢先だった」という表現があったらしい。
「随筆集が出版される矢先だった」ならわかるが、これは間違いだと思ったと言う。
ところが最近では「直後」の意味で使われることも多く、
広辞苑にさえ「事の正に始まろうとするとき、または後」とあるらしい。
その後に出てくるのが「一所懸命」だ。
記者は中学生のときの漢字テストで、「一生懸命」を「一所懸命」と書いて×をもらったそうだ。
で、懲りたかと言えば逆である。
言葉は時代とともに変わるものであり、誤用がやがて正しい使い方となるのも認めた上で、
でも、だからこそ、言葉へのこだわりを忘れずに「小さな抵抗」を続けていきたいと結んでいる。
この記者、私とそっくりだ。
以前も書いたが、私も言葉や漢字については極めて保守的な人間だ。
「一所懸命」だけは意地でも譲らない。
「(電車などが)こむ」も、「混」が正式に許容されても、
本来の「込む」を使い続けるつもりだ。
何でも「取る」で済ませるのではなく、
「獲る」「捕る」や「撮る」「録る」「摂る」「採る」「執る」をきちんと使い分けたい。
そう言えば昔、
ラブレターではあえて「思う」を「想う」 、「会う」を「逢う」と書いていたっけ...。
因みに上に挙げた「矢先」、新解さん(新明解国語辞典)では「直後」は認めていない。
「予定の行動にかかろうとする、ちょうどその時」とある。
うん、これでなくっちゃ...。
