2010年06月02日
遠くで汽笛を聞きながら/この言い方は正しいのか~その7~
今回は、以前書いていたブログでも話題にした表現です。
「遠くで汽笛を聞きながら」という曲があります。
かつてのアリスの名曲ですね。
私も大好きで、学生時代よく口ずさみました。
で、曲はいいのですが、このタイトルが気になるんです。
「遠くで」はおかしくないでしょうか...。
他に「遠くで」を使った例を見てみましょう。
1.遠くで見守る、遠くで無事を祈る
2.遠くで稲妻が光る、遠くで犬が吠える
1の例では、対象となる誰かのことを、その人から遠い所で見守ったり祈ったりしています。
「遠く」の起点は「誰か」で、終点が話者のいる所ですね。
この「遠くで」は「遠くから」に言い換えることができます。
一方2では、話者から遠く離れた所で光ったり吠えたりしていて、
「遠く」の起点が話者と考えられます。
この場合、「遠くから」にするとおかしいですね。
「犬が吠える」方は「遠くから」でもありですが、
そうなると意味が変わってきます。
さて、「遠くで汽笛を聞きながら」はどちらでしょう?
1の意味ならいいんです。
汽笛が鳴っていて、それをそこから離れた所で聞いている。
「遠くから聞きながら」という状況です。
でも、歌詞の内容から考えても、この解釈には無理があるような気がします。
やはり、話者のいる所を起点としていると考えるべきでしょう。
毎日の生活の場から遙か彼方に汽笛を聞き、
ノスタルジックな思いに駆られながら、それでも前向きに「生きていきたい」と歌っているのです。
そうすると、2で挙げた例のように、
遠く離れた場所で「○○が××している」という形にならないと成り立たないと思うのです。
この状況で言えば「遠くで汽笛が鳴っている」ですね。
つまり、「遠くで」と「汽笛を聞きながら」は共存できない!ということになります。
どちらかを生かすなら「汽笛を聞きながら」の方でしょう。
すると「遠くに汽笛を聞きながら」が最も自然な表現ということになります。
「遠くに北アルプスを望む」「遠くにノロシを確認する」などと同じ使い方です。
以前のブログには、「遠くに汽笛を聞きながら」だとなんだか軽い感じがする、
というコメントを頂きました。
私も肯くところがありますが、「遠くで~」にはどうしても抵抗があるのです。
皆さん、どう思われますか?

「遠くで汽笛を聞きながら」という曲があります。
かつてのアリスの名曲ですね。
私も大好きで、学生時代よく口ずさみました。
で、曲はいいのですが、このタイトルが気になるんです。
「遠くで」はおかしくないでしょうか...。
他に「遠くで」を使った例を見てみましょう。
1.遠くで見守る、遠くで無事を祈る
2.遠くで稲妻が光る、遠くで犬が吠える
1の例では、対象となる誰かのことを、その人から遠い所で見守ったり祈ったりしています。
「遠く」の起点は「誰か」で、終点が話者のいる所ですね。
この「遠くで」は「遠くから」に言い換えることができます。
一方2では、話者から遠く離れた所で光ったり吠えたりしていて、
「遠く」の起点が話者と考えられます。
この場合、「遠くから」にするとおかしいですね。
「犬が吠える」方は「遠くから」でもありですが、
そうなると意味が変わってきます。
さて、「遠くで汽笛を聞きながら」はどちらでしょう?
1の意味ならいいんです。
汽笛が鳴っていて、それをそこから離れた所で聞いている。
「遠くから聞きながら」という状況です。
でも、歌詞の内容から考えても、この解釈には無理があるような気がします。
やはり、話者のいる所を起点としていると考えるべきでしょう。
毎日の生活の場から遙か彼方に汽笛を聞き、
ノスタルジックな思いに駆られながら、それでも前向きに「生きていきたい」と歌っているのです。
そうすると、2で挙げた例のように、
遠く離れた場所で「○○が××している」という形にならないと成り立たないと思うのです。
この状況で言えば「遠くで汽笛が鳴っている」ですね。
つまり、「遠くで」と「汽笛を聞きながら」は共存できない!ということになります。
どちらかを生かすなら「汽笛を聞きながら」の方でしょう。
すると「遠くに汽笛を聞きながら」が最も自然な表現ということになります。
「遠くに北アルプスを望む」「遠くにノロシを確認する」などと同じ使い方です。
以前のブログには、「遠くに汽笛を聞きながら」だとなんだか軽い感じがする、
というコメントを頂きました。
私も肯くところがありますが、「遠くで~」にはどうしても抵抗があるのです。
皆さん、どう思われますか?
