2010年12月20日
セキュリティ対策が煩わしい!
パソコンに入れてあるセキュリティソフト。
危険を知らせる×マークが表示されている。
×が出たままだと何となく不安だし、
せっかくその料金払っているのだからと対応するが、「安全」になるには時間がかかる。
「フィッシング対策」だけならすぐに対処できるが、
「クイックスキャン」とかいうのが始まると、長時間パソコンの内部をチェックしている。
その間、他のソフトを使っていても、なんだか動きが遅い感じだ。
どこが「クイック」やねん!
なんとか「安全」という表示になっても、数日後にはまた×マーク...。
面倒になって、最近は放っておくことが多くなった。
全く意味がない...。
YahooにIDでログインしても、作業の途中で改めてパスワードを求められることがある。
これもセキュリティ強化のためらしいが、急いでいるときには腹が立つ。
ナガブロでも煩わしいことが増えてきた。
コメントを書き込むときの「画像認証」。
たまに読みにくい画像があると、再入力の画面になる。
思わず「まったく!」と文句を言ってしまう。
セキュリティを強化したい人だけがこのシステムを付けているのだと思ったら、
いつからか自分のブログにも自動的に付いている。
頂いたコメントにレスするときにも認証を求めてくるのが腹立たしい。
自分のブログにコメントするときには解除されるようにしてほしい。
環境設定」から変更できることを知り、「画像認証」はオフにした。
ここまでは、ただ煩わしいだけだからまだ許せる。
先日、ナガブロで遙かに腹が立つショックな経験をした。
たまたま記事を書いている途中で昼食になり、30分くらい間が空いた。
戻ってきて記事を書き上げ、「確認」ボタンを押すと、ログイン画面になってしまった。
あまりにも時間が空いたために、セキュリティ対策が働いたようだ。
嫌な予感がしたが、ショッピングのサイトなどでは再ログインすれば元のページに戻れる。
期待してログインしたが、予感が的中...。
「記事投稿」画面ではなく「管理画面」になってしまった。
一覧には、さっきあれだけ時間をかけてアップしたはずの記事はない。
ブラウザの「戻る」ボタンで「記事投稿」画面に戻っても白紙のままだ...。
ガーン...また初めからやり直しだ...。
これ、どうにかならないものか。
どこかに注意事項として書いてあったっけ...?
隅々まで読めばあるのかも知れないが、
実際の作業中に、せめて警告でも出るようにしてほしい。
あれ以来、記事投稿の「確認」を押す前には、忘れずに全文をコピーすることにしている。

危険を知らせる×マークが表示されている。
×が出たままだと何となく不安だし、
せっかくその料金払っているのだからと対応するが、「安全」になるには時間がかかる。
「フィッシング対策」だけならすぐに対処できるが、
「クイックスキャン」とかいうのが始まると、長時間パソコンの内部をチェックしている。
その間、他のソフトを使っていても、なんだか動きが遅い感じだ。
どこが「クイック」やねん!
なんとか「安全」という表示になっても、数日後にはまた×マーク...。
面倒になって、最近は放っておくことが多くなった。
全く意味がない...。
YahooにIDでログインしても、作業の途中で改めてパスワードを求められることがある。
これもセキュリティ強化のためらしいが、急いでいるときには腹が立つ。
ナガブロでも煩わしいことが増えてきた。
コメントを書き込むときの「画像認証」。
たまに読みにくい画像があると、再入力の画面になる。
思わず「まったく!」と文句を言ってしまう。
セキュリティを強化したい人だけがこのシステムを付けているのだと思ったら、
いつからか自分のブログにも自動的に付いている。
頂いたコメントにレスするときにも認証を求めてくるのが腹立たしい。
自分のブログにコメントするときには解除されるようにしてほしい。
環境設定」から変更できることを知り、「画像認証」はオフにした。
ここまでは、ただ煩わしいだけだからまだ許せる。
先日、ナガブロで遙かに腹が立つショックな経験をした。
たまたま記事を書いている途中で昼食になり、30分くらい間が空いた。
戻ってきて記事を書き上げ、「確認」ボタンを押すと、ログイン画面になってしまった。
あまりにも時間が空いたために、セキュリティ対策が働いたようだ。
嫌な予感がしたが、ショッピングのサイトなどでは再ログインすれば元のページに戻れる。
期待してログインしたが、予感が的中...。
「記事投稿」画面ではなく「管理画面」になってしまった。
一覧には、さっきあれだけ時間をかけてアップしたはずの記事はない。
ブラウザの「戻る」ボタンで「記事投稿」画面に戻っても白紙のままだ...。
ガーン...また初めからやり直しだ...。
これ、どうにかならないものか。
どこかに注意事項として書いてあったっけ...?
隅々まで読めばあるのかも知れないが、
実際の作業中に、せめて警告でも出るようにしてほしい。
あれ以来、記事投稿の「確認」を押す前には、忘れずに全文をコピーすることにしている。

2010年12月01日
レシートください!
コンビニで昼食を買った。
お釣りを貰う。
しばしの沈黙...。
それでも気がつかないので、指さして「レシート」と言うとやっとくれた。
私の経験では、コンビニで初めからレシートをくれる割合は3~4割である。
必要か否か聞いてくれるのはまだマシな方だ。
精算が済んでからも待っていると、ようやくくれる。
冒頭の例のように、こちらから要求しないともらえないことも少なくない。
お釣りが発生したときの方が、それとともにレシートを貰える確率は上がるようだ。
レシートは簡易領収書である。
必ず渡すのが大原則ではないか?
スーパーなら間違いなくくれる。
書店でもホームセンターでも同様だ。
服や靴を買っても、レシートは当たり前のように付いてくる。
なぜ、コンビニだけが違うのか...。
客層が異なるのが主な原因だろうか。
若者は一々レシートなど貰いたくないのか。
邪魔くさいという客が多いので、だんだん渡さない習慣になったのだろう。
そう言えばコンビニのレジには、不要なレシートを入れる箱まで置いてある。
そんな細かい金額など、出納の記録を残していない人が多いのかも知れない。
私は毎日の出費は欠かさずノートに記録しているので、レシートがないと困るのだ。
主婦でもないのにこんなに几帳面なのは少数派なのだろうか...。
高額な買い物ならレシートを受け取る人も多いだろう。
コンビニでの買い物程度なら、返品や交換という事態もほとんどないだろうから、
レシートなど不要という考えも理解できる。
しかし、私のように必要としている者も大勢いるのだ(...と思う)。
マニュアルがどうなっているのか知りたいものだが、
原則は渡すように徹底してもらいたい。

お釣りを貰う。
しばしの沈黙...。
それでも気がつかないので、指さして「レシート」と言うとやっとくれた。
私の経験では、コンビニで初めからレシートをくれる割合は3~4割である。
必要か否か聞いてくれるのはまだマシな方だ。
精算が済んでからも待っていると、ようやくくれる。
冒頭の例のように、こちらから要求しないともらえないことも少なくない。
お釣りが発生したときの方が、それとともにレシートを貰える確率は上がるようだ。
レシートは簡易領収書である。
必ず渡すのが大原則ではないか?
スーパーなら間違いなくくれる。
書店でもホームセンターでも同様だ。
服や靴を買っても、レシートは当たり前のように付いてくる。
なぜ、コンビニだけが違うのか...。
客層が異なるのが主な原因だろうか。
若者は一々レシートなど貰いたくないのか。
邪魔くさいという客が多いので、だんだん渡さない習慣になったのだろう。
そう言えばコンビニのレジには、不要なレシートを入れる箱まで置いてある。
そんな細かい金額など、出納の記録を残していない人が多いのかも知れない。
私は毎日の出費は欠かさずノートに記録しているので、レシートがないと困るのだ。
主婦でもないのにこんなに几帳面なのは少数派なのだろうか...。
高額な買い物ならレシートを受け取る人も多いだろう。
コンビニでの買い物程度なら、返品や交換という事態もほとんどないだろうから、
レシートなど不要という考えも理解できる。
しかし、私のように必要としている者も大勢いるのだ(...と思う)。
マニュアルがどうなっているのか知りたいものだが、
原則は渡すように徹底してもらいたい。

2010年11月27日
工事用信号に強制力はあるか?
松代の町に降りていくと、どこかしらで道路工事をやっている。
補修だったり、下水道整備だったり、目的はいろいろだ。
片側通行で作業員が旗を振っている。
夜間や休日には、ここに工事用の小さな信号機が設置されることになる。
青と赤だけで、赤の方に「あと何秒」というカウントダウンが表示されるものだ。
土曜日だったか、予定より遅れて家を出た私は気持ちが急いていた。
そういうときに限って、この信号にも捕まるものだ。
前に1台止まっていたので、その後ろでおとなしく待つ。
このときの現場は極めて短い区間であり、しかも見通しのよい直線道路だ。
対向車は見えず、発進しても事故が起こる危険性はゼロに等しい状況だった。
ところが、前の車はひたすら青信号を待っている。
よほど追い抜こうかと思ったが、あまりにマナー違反かも...と思い直す。
結局、完全に青に変わってから前車に従うことになった。
私の車が先頭なら、赤でも迷わず進んでいたと思う。
正式な信号ではないのだから、安全が確認できれば赤信号は無視していいのではないか?
以前、工事用信号には強制力はないと聞いた覚えがある。
マナーや道徳という範疇の問題で、道交法違反にはならないと・・・。
もちろん、万が一事故になった場合は、赤で進んだ方が圧倒的に不利にはなるだろうが...。
その覚悟を持った上での自己責任に帰する問題だと思っていた。
ところが、改めてネットで調べてみると、
工事用信号でも信号無視は道交法違反だという意見が意外と多い。
実際に反則切符を切られたのを見たという声がある。
信号によって違う(公安委の認定を受けているか否か)という説もある。
一方、私と同じ内容の意見もほぼ同数見受けられた。
いったいどちらが真実なのか...?
大多数の運転者の行動を見ていると、
赤信号の残り時間が10秒くらいになった時点で見切り発進する例が多い。
反対側の信号が赤に変わってからこちらが青になるまで、多少時間がある。
つまり双方が赤になっているときがあるわけで、
そこを突いて少しでも早くとスタートするのだ。
先頭が走り出すと、後続車も赤を無視して続く。
「みんなで渡れば...」の典型だ。
工事用信号にも強制力があるなら、これも明らかに違反になってしまうが...。
そもそも、正規の交通信号でさえ、私が遵守しているのは罰則があるからだ。
それさえなければ、安全が確認できれば赤信号でも進むつもりだ。
徒歩や自転車なら、まず機械的には従わない。
車だと従うのは反則切符が怖いからである。
...法治主義の世の中で、こんな主張は許されないだろうか?
罰則がなかろうが、安全が確認されようが、赤信号は守るべきだという方には問いたい。
上述のように工事用信号の赤が残り数秒になったとき、
前車が発進しても自分は青まで待っていますか...?
そもそも信号は必要悪である。
信号がなければ車や歩行者の横断もままならない幹線道路や、
学校の近くなら仕方がないが、
それ以外の箇所には信号を増やすべきではない。
信号に頼るのは楽だが、その分判断力が奪われ、思考停止が促進されるのを忘れてはならない。
青になったからと、安全を確かめもせずに発進して事故に遭うことも稀ではないのだ。
松代の町の中は、信号が少ないので気に入っている。。
かなり神経を使う交差点もあるが、私はそこに信号を望まない。
東京のどこだったか、五差路にあえて信号を設置していない所があるそうだ。
その方が事故が起こりにくいのだという。
機械に頼って何も考えずにその指示に従うより、
個々のドライバーが自己責任で頭を使ったり譲り合ったりした方が、よほどうまく行くのだ。信号さえ設ければ安全という安易な発想はなくしてもらいたい。
話がずいぶん逸れてしまった。
工事用信号の件、どなたか真相を教えてください。
罰則があるのなら、0秒になるまで待たなければならないので...。

補修だったり、下水道整備だったり、目的はいろいろだ。
片側通行で作業員が旗を振っている。
夜間や休日には、ここに工事用の小さな信号機が設置されることになる。
青と赤だけで、赤の方に「あと何秒」というカウントダウンが表示されるものだ。
土曜日だったか、予定より遅れて家を出た私は気持ちが急いていた。
そういうときに限って、この信号にも捕まるものだ。
前に1台止まっていたので、その後ろでおとなしく待つ。
このときの現場は極めて短い区間であり、しかも見通しのよい直線道路だ。
対向車は見えず、発進しても事故が起こる危険性はゼロに等しい状況だった。
ところが、前の車はひたすら青信号を待っている。
よほど追い抜こうかと思ったが、あまりにマナー違反かも...と思い直す。
結局、完全に青に変わってから前車に従うことになった。
私の車が先頭なら、赤でも迷わず進んでいたと思う。
正式な信号ではないのだから、安全が確認できれば赤信号は無視していいのではないか?
以前、工事用信号には強制力はないと聞いた覚えがある。
マナーや道徳という範疇の問題で、道交法違反にはならないと・・・。
もちろん、万が一事故になった場合は、赤で進んだ方が圧倒的に不利にはなるだろうが...。
その覚悟を持った上での自己責任に帰する問題だと思っていた。
ところが、改めてネットで調べてみると、
工事用信号でも信号無視は道交法違反だという意見が意外と多い。
実際に反則切符を切られたのを見たという声がある。
信号によって違う(公安委の認定を受けているか否か)という説もある。
一方、私と同じ内容の意見もほぼ同数見受けられた。
いったいどちらが真実なのか...?
大多数の運転者の行動を見ていると、
赤信号の残り時間が10秒くらいになった時点で見切り発進する例が多い。
反対側の信号が赤に変わってからこちらが青になるまで、多少時間がある。
つまり双方が赤になっているときがあるわけで、
そこを突いて少しでも早くとスタートするのだ。
先頭が走り出すと、後続車も赤を無視して続く。
「みんなで渡れば...」の典型だ。
工事用信号にも強制力があるなら、これも明らかに違反になってしまうが...。
そもそも、正規の交通信号でさえ、私が遵守しているのは罰則があるからだ。
それさえなければ、安全が確認できれば赤信号でも進むつもりだ。
徒歩や自転車なら、まず機械的には従わない。
車だと従うのは反則切符が怖いからである。
...法治主義の世の中で、こんな主張は許されないだろうか?
罰則がなかろうが、安全が確認されようが、赤信号は守るべきだという方には問いたい。
上述のように工事用信号の赤が残り数秒になったとき、
前車が発進しても自分は青まで待っていますか...?
そもそも信号は必要悪である。
信号がなければ車や歩行者の横断もままならない幹線道路や、
学校の近くなら仕方がないが、
それ以外の箇所には信号を増やすべきではない。
信号に頼るのは楽だが、その分判断力が奪われ、思考停止が促進されるのを忘れてはならない。
青になったからと、安全を確かめもせずに発進して事故に遭うことも稀ではないのだ。
松代の町の中は、信号が少ないので気に入っている。。
かなり神経を使う交差点もあるが、私はそこに信号を望まない。
東京のどこだったか、五差路にあえて信号を設置していない所があるそうだ。
その方が事故が起こりにくいのだという。
機械に頼って何も考えずにその指示に従うより、
個々のドライバーが自己責任で頭を使ったり譲り合ったりした方が、よほどうまく行くのだ。信号さえ設ければ安全という安易な発想はなくしてもらいたい。
話がずいぶん逸れてしまった。
工事用信号の件、どなたか真相を教えてください。
罰則があるのなら、0秒になるまで待たなければならないので...。

2010年11月17日
ローマ字
少し前、新聞の投稿欄に、小学校でのローマ字指導についての意見が載っていた。
「訓令式」のローマ字を教えることに対する疑問である。
小学校で教わる「訓令式」というのは、日本独自の表記だ。
「シ」をsi、「ジ」をzi、「チャ」をtyaと表す。
残念ながら、一般生活で使われることは皆無に等しい。
一方、国際的に通用し、広く使われているのは「ヘボン式」だ。
訓令式と共通するものがほとんどだが、一部異なる。
たとえば「シ」はshi、「ジ」はji、「チャ」はchaという具合だ。
ローマ字を教える目的は、一つには世界に通用する表音文字を身につけさせることであり、
同時に英語への導入という役割もあるだろう。
であれば、ヘボン式の方がはるかに都合がよい。
siと書くと、外国人は「シ」と読んでくれない。「スィ」になってしまう。
「シ」と読ませるためには、sの後にhが必要なのだ。
see だと「スィー」、she だと「シー」になるのと同じである。
tiは「ティ」、tuは「トゥ」、ziは「ズィ」になってしまうので、
それぞれchi、tsu、jiと表さなければならない。
「あつし」という名前を訓令式で Atusi と書けば、「アトゥティ」と発音されてしまうだろう。
塾に通う6年生に英語への準備指導を始めているが、
まず確かめるのはローマ字の定着度合である。
あやふやな子はもちろん徹底訓練するが、
訓令式をほぼ完璧にマスターしている子でも、ここで新たにヘボン式を教えなければならない。
数は少ないが、教わる方にしてみれば二度手間である。
体系的にまとまっているのは訓令式だ。
各行の子音と、五つの母音を機械的に組み合わせるだけで済む。
ヘボン式のような不規則性はない。
初めて習う子どもにはわかりやすいだろう。
だからと言って、結局は通用しない、学び直さねばならないものを、
わざわざ勉強するのも如何なものか...。
特にsyaやzyoなど面倒なものについては、その感が強い。
小学校でもヘボン式を教えればいい。
訓令式を原則とし、「シ」や「チャ」はヘボン式も教える。
どちらでもいいが、国際的にはこうだということもきちんと伝えればすむことだ。
自分の名前を「ダイティ」や「スィオリ」と読まれたくない子は、
積極的にヘボン式を覚えるだろう。
因みにキーボードではsiやtuでも「シ」「ツ」と出るが、
これは訓令式の名残か、スピードアップのためか...。
その分、外国人より得しているのか...。
小学校でも英語の授業が始まることで、
ローマ字の扱いがどうなって行くのか、注目したいところである。

「訓令式」のローマ字を教えることに対する疑問である。
小学校で教わる「訓令式」というのは、日本独自の表記だ。
「シ」をsi、「ジ」をzi、「チャ」をtyaと表す。
残念ながら、一般生活で使われることは皆無に等しい。
一方、国際的に通用し、広く使われているのは「ヘボン式」だ。
訓令式と共通するものがほとんどだが、一部異なる。
たとえば「シ」はshi、「ジ」はji、「チャ」はchaという具合だ。
ローマ字を教える目的は、一つには世界に通用する表音文字を身につけさせることであり、
同時に英語への導入という役割もあるだろう。
であれば、ヘボン式の方がはるかに都合がよい。
siと書くと、外国人は「シ」と読んでくれない。「スィ」になってしまう。
「シ」と読ませるためには、sの後にhが必要なのだ。
see だと「スィー」、she だと「シー」になるのと同じである。
tiは「ティ」、tuは「トゥ」、ziは「ズィ」になってしまうので、
それぞれchi、tsu、jiと表さなければならない。
「あつし」という名前を訓令式で Atusi と書けば、「アトゥティ」と発音されてしまうだろう。
塾に通う6年生に英語への準備指導を始めているが、
まず確かめるのはローマ字の定着度合である。
あやふやな子はもちろん徹底訓練するが、
訓令式をほぼ完璧にマスターしている子でも、ここで新たにヘボン式を教えなければならない。
数は少ないが、教わる方にしてみれば二度手間である。
体系的にまとまっているのは訓令式だ。
各行の子音と、五つの母音を機械的に組み合わせるだけで済む。
ヘボン式のような不規則性はない。
初めて習う子どもにはわかりやすいだろう。
だからと言って、結局は通用しない、学び直さねばならないものを、
わざわざ勉強するのも如何なものか...。
特にsyaやzyoなど面倒なものについては、その感が強い。
小学校でもヘボン式を教えればいい。
訓令式を原則とし、「シ」や「チャ」はヘボン式も教える。
どちらでもいいが、国際的にはこうだということもきちんと伝えればすむことだ。
自分の名前を「ダイティ」や「スィオリ」と読まれたくない子は、
積極的にヘボン式を覚えるだろう。
因みにキーボードではsiやtuでも「シ」「ツ」と出るが、
これは訓令式の名残か、スピードアップのためか...。
その分、外国人より得しているのか...。
小学校でも英語の授業が始まることで、
ローマ字の扱いがどうなって行くのか、注目したいところである。

2010年11月05日
努力はしたくない...
今年の中3には手応えのない生徒が数名いる。
後期入試まであと4ヶ月というのに、なかなか本気モードに入れない。
まず気になるのは、塾での居眠りだ。
中学生はフリータイム制で個別指導。
一部を除いて、学習する教科もその分量も生徒が自分で決める。
もちろんアドバイスや注意はするが、講師主導型の塾ではない。
その分自己管理する力が要求されることになるが、
慣れてくれば中1でも十分に対応できる。
講師の指示どおりに与えられたものだけをこなす、受動型の勉強から脱皮させたいのだ。
もちろん、これまでにも居眠りする子はいた。
中学校の生活になかなか順応できない中1、部活で疲れ切っている子、
毎日の習い事に振り回されている生徒などなど...。
そういう子は、多少居眠りしていてもしばらく放っておく。
無理に起こしても集中力が続かない。
またすぐ夢の世界へ戻ってしまうこともしばしばだ。
10分くらい寝かせてやった方が結果的には効率的だ。
ところが、今回は中3である。
部活も卒業して、体力的には余裕があるはずだ。
他の塾や習い事を掛け持ちしているわけでもない。
それなのに、放っておくと30分くらい平気で寝ているのだ...。
就寝する時間がよほど遅いのか、生活が乱れているのか?
本人に問いただしてみても明確な原因がつかめない。
授業中にも寝ることがあるそうだが、テストのときは大丈夫と言うのだから
病気(ナルコレプシー)でもなさそうだ。
やはり本人のやる気の問題か...。
先日、すべての保護者と個別面談を行った。
中3は生徒も含めた個別面談だ。
居眠り問題の生徒の一人には、母親も匙を投げていた。
高校のことも受験のことも、まるで他人事のような言動だ。
面談のときまでに書いてこいと言った計画表も白紙のままだし、
夏休み中の高校見学も全く行っていないという。
特に数学については、素晴らしいセンスを持っている子だ。
「こんな考え方もできる」という説明にも大いに興味を示すので、
決して勉強が嫌いというわけではないだろう。
ところが、すべてにおいて雑でいい加減なのだ。
テストも、勘違いや計算違いで点を落としている。
本人の考え方もいろいろ聞いてみたが、
受験勉強を本気で頑張るという気持ちはないらしい。
今の学力で入れる高校に行けばいいと思っている。
要するに、努力はしたくないということだ。
母親は、そんな考えならむしろ受験に失敗して浪人した方がいいと言う。
私も、それもありかな?と思う。
これから先、いつも努力することから逃げて、
成り行き任せの人生を送らせていいのだろうか。
ときには死ぬ気で頑張る、という体験を積ませる必要があるのではないか...。
少子化のせいで、高校も大学も、選り好みをしなければ皆入れるようになった。
こういう子が増えているのも時代の流れなのかも知れない。
難しいことやめんどくさいことは嫌い、楽しくやりたいという子も多い。
これでいいわけない、何とかしたいと思うのだが、まさに「笛吹けど踊らず」...。
もどかしくて仕方がない。

後期入試まであと4ヶ月というのに、なかなか本気モードに入れない。
まず気になるのは、塾での居眠りだ。
中学生はフリータイム制で個別指導。
一部を除いて、学習する教科もその分量も生徒が自分で決める。
もちろんアドバイスや注意はするが、講師主導型の塾ではない。
その分自己管理する力が要求されることになるが、
慣れてくれば中1でも十分に対応できる。
講師の指示どおりに与えられたものだけをこなす、受動型の勉強から脱皮させたいのだ。
もちろん、これまでにも居眠りする子はいた。
中学校の生活になかなか順応できない中1、部活で疲れ切っている子、
毎日の習い事に振り回されている生徒などなど...。
そういう子は、多少居眠りしていてもしばらく放っておく。
無理に起こしても集中力が続かない。
またすぐ夢の世界へ戻ってしまうこともしばしばだ。
10分くらい寝かせてやった方が結果的には効率的だ。
ところが、今回は中3である。
部活も卒業して、体力的には余裕があるはずだ。
他の塾や習い事を掛け持ちしているわけでもない。
それなのに、放っておくと30分くらい平気で寝ているのだ...。
就寝する時間がよほど遅いのか、生活が乱れているのか?
本人に問いただしてみても明確な原因がつかめない。
授業中にも寝ることがあるそうだが、テストのときは大丈夫と言うのだから
病気(ナルコレプシー)でもなさそうだ。
やはり本人のやる気の問題か...。
先日、すべての保護者と個別面談を行った。
中3は生徒も含めた個別面談だ。
居眠り問題の生徒の一人には、母親も匙を投げていた。
高校のことも受験のことも、まるで他人事のような言動だ。
面談のときまでに書いてこいと言った計画表も白紙のままだし、
夏休み中の高校見学も全く行っていないという。
特に数学については、素晴らしいセンスを持っている子だ。
「こんな考え方もできる」という説明にも大いに興味を示すので、
決して勉強が嫌いというわけではないだろう。
ところが、すべてにおいて雑でいい加減なのだ。
テストも、勘違いや計算違いで点を落としている。
本人の考え方もいろいろ聞いてみたが、
受験勉強を本気で頑張るという気持ちはないらしい。
今の学力で入れる高校に行けばいいと思っている。
要するに、努力はしたくないということだ。
母親は、そんな考えならむしろ受験に失敗して浪人した方がいいと言う。
私も、それもありかな?と思う。
これから先、いつも努力することから逃げて、
成り行き任せの人生を送らせていいのだろうか。
ときには死ぬ気で頑張る、という体験を積ませる必要があるのではないか...。
少子化のせいで、高校も大学も、選り好みをしなければ皆入れるようになった。
こういう子が増えているのも時代の流れなのかも知れない。
難しいことやめんどくさいことは嫌い、楽しくやりたいという子も多い。
これでいいわけない、何とかしたいと思うのだが、まさに「笛吹けど踊らず」...。
もどかしくて仕方がない。

2010年10月26日
群れるな!
中学生のときだから、もう40年近く前になる。
NHKで「天下御免」という型破りな時代劇が放映されていた。
江戸時代の奇才、平賀源内を主人公にしたドラマだったが、
早坂暁氏の脚本が絶妙で実に楽しかった。
史実に基づいた部分は少なく、ときには時代考証もお構いなしに、
エンターテインメント性を重視していたのだ。
当時のNHK番組の中では、異色中の異色であったろう。
この冒険的な時代劇については、もちろん賛否両論の意見があったが、私は夢中になった。
初めはただ面白いだけだったが、そのうち主人公の源内の生き方に憧れるようになる。
奇人変人扱いされても意に介さず、むしろ人と違うことを誇りにしているかのようだった。
思想や言動がなかなか受け入れられず、「早く生まれすぎた」とこぼしながらも、
重苦しい時代をいかに面白く、自由に生きるかを追求していく姿に共感を覚えたのだ。
(実はこの「自由」が物語のコンセプトの一つでもあり、
ラストは自由を求めて熱気球でフランスに渡って、
フランス革命に参加するという壮大な展開になっていた。)
それまでの私は典型的な優等生タイプだった。
親や先生の言うことをよく聞き、お勉強も真面目にやって成績も良かった。
大人から与えられた価値観を、何の疑いもなく素直に受け入れていたのだ。
それがこの番組を観て変わった。
自分も源内のようになりたい、もっと自由に生きてみたいと思うようになったのだ。
強烈な自我が芽生えたきっかけが「天下御免」という時代劇だったのである。
前にも書いたが、今では行列が大嫌いな人間になった。
「変わっている」と言われるのは、私にとっては褒め言葉である。
いつも群れていないと気が済まない人より、孤高の人に魅力を感じる。
だからこそ、先日新聞に載っていた調査結果にはがっかりした。
ベネッセ教育研究開発センターが全国の児童・生徒に行った調査である。
「仲間同士で固まっていたい」「仲間外れにされないように話を合わせる」
こんなふうに答える子どもが、特に男子で増えているそうだ。
前者には小中学生の5~6割、後者には小学生の5割、中高生でも4~5割が該当している。
高校生でも43%の男子が「話を合わせる」というのは、いささか多すぎないか...。
記事は、「草食化」が小学生のときから始まっていると分析している。
我々の時代と違って、今の中高生は母親や父親ともよく話をしているらしい。
家族の絆が深まっているのは悪いことではないだろうが、
どうも内輪だけ、同質の者だけでまとまろうという意識が強すぎるように思う。
自分の周りのごく狭い範囲で、こぢんまりと居心地のいい空間を維持していこうと考えているのだろう。
なんだか日本の将来がますます心配になってくる。
友人や親と対立しながら自我を築いていく、
そんな「逞しい」青少年は少数派になってしまったのか...。
周りに合わせることばかり気にして、自分の頭で考える習慣を持たないまま成長すれば、
いつまでも自立できない若者が増加するのではないか。
マスコミに簡単に操作されやすい思考停止人間も、さらに一般化するだろう。
史実では、平賀源内は過失で人を殺め、牢内で死する。
その死にあたり、友人だった杉田玄白が詠んだ詩がある。
ああ非常の人
非常の事を好み
行いこれ非常
何ぞ非常の死なるや

※画像は最近読んだ本。励まされました...。
NHKで「天下御免」という型破りな時代劇が放映されていた。
江戸時代の奇才、平賀源内を主人公にしたドラマだったが、
早坂暁氏の脚本が絶妙で実に楽しかった。
史実に基づいた部分は少なく、ときには時代考証もお構いなしに、
エンターテインメント性を重視していたのだ。
当時のNHK番組の中では、異色中の異色であったろう。
この冒険的な時代劇については、もちろん賛否両論の意見があったが、私は夢中になった。
初めはただ面白いだけだったが、そのうち主人公の源内の生き方に憧れるようになる。
奇人変人扱いされても意に介さず、むしろ人と違うことを誇りにしているかのようだった。
思想や言動がなかなか受け入れられず、「早く生まれすぎた」とこぼしながらも、
重苦しい時代をいかに面白く、自由に生きるかを追求していく姿に共感を覚えたのだ。
(実はこの「自由」が物語のコンセプトの一つでもあり、
ラストは自由を求めて熱気球でフランスに渡って、
フランス革命に参加するという壮大な展開になっていた。)
それまでの私は典型的な優等生タイプだった。
親や先生の言うことをよく聞き、お勉強も真面目にやって成績も良かった。
大人から与えられた価値観を、何の疑いもなく素直に受け入れていたのだ。
それがこの番組を観て変わった。
自分も源内のようになりたい、もっと自由に生きてみたいと思うようになったのだ。
強烈な自我が芽生えたきっかけが「天下御免」という時代劇だったのである。
前にも書いたが、今では行列が大嫌いな人間になった。
「変わっている」と言われるのは、私にとっては褒め言葉である。
いつも群れていないと気が済まない人より、孤高の人に魅力を感じる。
だからこそ、先日新聞に載っていた調査結果にはがっかりした。
ベネッセ教育研究開発センターが全国の児童・生徒に行った調査である。
「仲間同士で固まっていたい」「仲間外れにされないように話を合わせる」
こんなふうに答える子どもが、特に男子で増えているそうだ。
前者には小中学生の5~6割、後者には小学生の5割、中高生でも4~5割が該当している。
高校生でも43%の男子が「話を合わせる」というのは、いささか多すぎないか...。
記事は、「草食化」が小学生のときから始まっていると分析している。
我々の時代と違って、今の中高生は母親や父親ともよく話をしているらしい。
家族の絆が深まっているのは悪いことではないだろうが、
どうも内輪だけ、同質の者だけでまとまろうという意識が強すぎるように思う。
自分の周りのごく狭い範囲で、こぢんまりと居心地のいい空間を維持していこうと考えているのだろう。
なんだか日本の将来がますます心配になってくる。
友人や親と対立しながら自我を築いていく、
そんな「逞しい」青少年は少数派になってしまったのか...。
周りに合わせることばかり気にして、自分の頭で考える習慣を持たないまま成長すれば、
いつまでも自立できない若者が増加するのではないか。
マスコミに簡単に操作されやすい思考停止人間も、さらに一般化するだろう。
史実では、平賀源内は過失で人を殺め、牢内で死する。
その死にあたり、友人だった杉田玄白が詠んだ詩がある。
ああ非常の人
非常の事を好み
行いこれ非常
何ぞ非常の死なるや

※画像は最近読んだ本。励まされました...。
2010年10月22日
道案内の力
言語表現力の中で、まず鍛えたいのが説明力である。
それを測るのに最適な素材の一つが、地図を見ての道案内だ。
ここのところ、甚だ要領の悪い説明を連続して目にして、その感を強くした。
塾には、図形や漢字、間取りや家系図、算数の考え方など、
様々なものを説明させるオリジナル教材があるが、
今回のは塾用の国語教材(小学生レベル)の一部である。
答えたのは中2の男女1名ずつ。
ごく簡単な道案内だ。
下図の●の位置から図書館までの道を教えればよい。
今手元に教材がないのでうろ覚えだが、50~60字の字数制限がある。
普通に考えれば、こんな説明になろうか。
「この道を行って二つ目の角を右に曲がります。橋を渡って次の角を左に曲がると、
右手に図書館があります。」
これくらい楽勝だろうと思っていたが、ずいぶんと時間がかかる。
どう表現していいか迷っているらしい。
やっと書き始めたと思ったら、今度は指定された字数内に収まらない...。

道案内が下手な子は、二つの面で「相手の立場に立つ」ことができていない。
一つは、相手にとって何が重要な情報なのかを考慮していないということ。
たとえばこんな説明を書いてくる。
「一つ目の十字路を通り過ぎて、二つ目の十字路を曲がり...」
どこでどちらに曲がるかが重要なのである。
一つ目の十字路のことなど触れる必要はない。
いや、触れるべきではないのだ。
親切のつもりで詳しく述べているのだろうが、余計な情報を増やすとかえってわかりにくくなる。
おまけに、肝心な二つ目の角をどちらに曲がるかが書かれていないのでは不親切この上ない。
橋を渡って十字路を左折するところまでで説明を終えているケースも多い。
これでは、曲がってからキョロキョロしなければならない。
どちら側に図書館があるのかまで教えてあげるのが、親切な道案内というものであろう。
相手の立場に立っていないもう一面の例。
自分の視点からだけで説明している。
「二つ目の角を橋がある方に曲がって...」
自分は地図を見ているから、橋があるとわかるのだ。
実際にその場で、角から橋が見えるとは限らないではないか...。
橋を渡った後左折してからの説明。
「すると上に図書館があります」
これも、地図を見ているからこそ出てきた表現であり、
現場を歩いている者には全く意味のない説明である。
左折した先が坂道になっていて、坂の上に図書館があるのかと思ってしまう。
※ ※ ※
企業が新入社員に求める力のトップはコミュニケーション力だ。
その根本を成すものの一つが、相手にわかりやすく説明できる力だと言えるだろう。
小中学生のうちから、少しでもその力を培ってやりたいと思っている。
それを測るのに最適な素材の一つが、地図を見ての道案内だ。
ここのところ、甚だ要領の悪い説明を連続して目にして、その感を強くした。
塾には、図形や漢字、間取りや家系図、算数の考え方など、
様々なものを説明させるオリジナル教材があるが、
今回のは塾用の国語教材(小学生レベル)の一部である。
答えたのは中2の男女1名ずつ。
ごく簡単な道案内だ。
下図の●の位置から図書館までの道を教えればよい。
今手元に教材がないのでうろ覚えだが、50~60字の字数制限がある。
普通に考えれば、こんな説明になろうか。
「この道を行って二つ目の角を右に曲がります。橋を渡って次の角を左に曲がると、
右手に図書館があります。」
これくらい楽勝だろうと思っていたが、ずいぶんと時間がかかる。
どう表現していいか迷っているらしい。
やっと書き始めたと思ったら、今度は指定された字数内に収まらない...。

道案内が下手な子は、二つの面で「相手の立場に立つ」ことができていない。
一つは、相手にとって何が重要な情報なのかを考慮していないということ。
たとえばこんな説明を書いてくる。
「一つ目の十字路を通り過ぎて、二つ目の十字路を曲がり...」
どこでどちらに曲がるかが重要なのである。
一つ目の十字路のことなど触れる必要はない。
いや、触れるべきではないのだ。
親切のつもりで詳しく述べているのだろうが、余計な情報を増やすとかえってわかりにくくなる。
おまけに、肝心な二つ目の角をどちらに曲がるかが書かれていないのでは不親切この上ない。
橋を渡って十字路を左折するところまでで説明を終えているケースも多い。
これでは、曲がってからキョロキョロしなければならない。
どちら側に図書館があるのかまで教えてあげるのが、親切な道案内というものであろう。
相手の立場に立っていないもう一面の例。
自分の視点からだけで説明している。
「二つ目の角を橋がある方に曲がって...」
自分は地図を見ているから、橋があるとわかるのだ。
実際にその場で、角から橋が見えるとは限らないではないか...。
橋を渡った後左折してからの説明。
「すると上に図書館があります」
これも、地図を見ているからこそ出てきた表現であり、
現場を歩いている者には全く意味のない説明である。
左折した先が坂道になっていて、坂の上に図書館があるのかと思ってしまう。
※ ※ ※
企業が新入社員に求める力のトップはコミュニケーション力だ。
その根本を成すものの一つが、相手にわかりやすく説明できる力だと言えるだろう。
小中学生のうちから、少しでもその力を培ってやりたいと思っている。
2010年10月07日
いかに楽するか
数学の計算を、わざわざ難しくしている生徒が多い。
(例1)三角形の面積の計算。
14×11×1/2を、馬鹿正直に前から計算しようとして筆算する。
どうせ1/2をかけるのだから、先に14を半分にして7×11と考えれば筆算は要らない。
(例2)連立方程式で11x+11y=88...①、9x-9y=18...②という2つの式が出てきたとする。
①の両辺を9倍、②の両辺を11倍して面倒な計算をする生徒がほとんどだ。
大きくすることしか考えていない。
①を11で、②を9で割ればずっとすっきりした式になるのに...。
(例3)これも方程式。ずっと計算してきて、最後に3=5xになったとする。
ここで移項して-5x=-3にしたがるのだ。
こんなの移項なんかしなくても、左右を入れ換えるだけで5x=3でいい。
型にこだわりすぎている...。
(例4)s=(a+b)pをaについて解けという問題。a=○○という形に直せということだ。
見ていると、右辺を展開して始める子が多い。
(a+b)は最後までひとかたまりにしておいた方が遙かに楽なのだが...。
(例5)これは定番の問題。
x=√2+1、y=√2-1のときx2乗-y2乗の値を求めよ。
x2乗-y2乗を因数分解してから代入すれば暗算でも解けるのに、
いきなり代入して途中で計算間違いを犯す...。
そうならないように中1のときから、
「代入するときは式を簡単にしてから」と言い続けているのだが...。
いかに楽して解くかというのが、数学の一つのテーマだと思う。
ここに挙げたような問題にどう対処しているか、そこに数学のセンスが垣間見えるのである。

(例1)三角形の面積の計算。
14×11×1/2を、馬鹿正直に前から計算しようとして筆算する。
どうせ1/2をかけるのだから、先に14を半分にして7×11と考えれば筆算は要らない。
(例2)連立方程式で11x+11y=88...①、9x-9y=18...②という2つの式が出てきたとする。
①の両辺を9倍、②の両辺を11倍して面倒な計算をする生徒がほとんどだ。
大きくすることしか考えていない。
①を11で、②を9で割ればずっとすっきりした式になるのに...。
(例3)これも方程式。ずっと計算してきて、最後に3=5xになったとする。
ここで移項して-5x=-3にしたがるのだ。
こんなの移項なんかしなくても、左右を入れ換えるだけで5x=3でいい。
型にこだわりすぎている...。
(例4)s=(a+b)pをaについて解けという問題。a=○○という形に直せということだ。
見ていると、右辺を展開して始める子が多い。
(a+b)は最後までひとかたまりにしておいた方が遙かに楽なのだが...。
(例5)これは定番の問題。
x=√2+1、y=√2-1のときx2乗-y2乗の値を求めよ。
x2乗-y2乗を因数分解してから代入すれば暗算でも解けるのに、
いきなり代入して途中で計算間違いを犯す...。
そうならないように中1のときから、
「代入するときは式を簡単にしてから」と言い続けているのだが...。
いかに楽して解くかというのが、数学の一つのテーマだと思う。
ここに挙げたような問題にどう対処しているか、そこに数学のセンスが垣間見えるのである。

2010年10月04日
テストの点は上げるものか?
テストの点は誰でも気になる。
そりゃあ、良いに越したことはない。
当然、多くの塾はテストの点を上げることに照準を合わせてくる。
定期テストの前には、その中学の何年分かの「過去問」を元に対策を練っている。
「予想問題」を作って対応している塾もあるようだ。
私の塾は、テスト対策を一切しない。
生徒が自主的にテスト勉強をするのを禁止するものではないが、
私から積極的に動くことはない。
正直、テスト対策をした方が、保護者や生徒からのウケはいいだろうと思う。
だが、しない。
教室だよりでもその点ははっきり宣言した。
定期テストは範囲が決まっているのだから、
そこを集中的に勉強し、よくわからない所はまる覚えしてしまえば何とかなる。
その気になれば40,50点は簡単に上げることができるだろう。
だが、それが勉強だと思ってもらっては困るのだ。
その場凌ぎの勉強で誤魔化してきた子は、総合テストになって必ずつまずく。
出題範囲が格段に広くなった途端、それまでの勉強法ではどうにもならなくなるのだ。
そうならないためには、普段から本質を理解する勉強を積み重ねていくしかない。
付け焼き刃ではない、しっかりした学力を身につけさせしかないのだ。
テストの度にこれが中断されては、甚だ効率が悪い。
結果的には、テスト対策に翻弄されない方が得策だと思っている。
さらに言えば、前述したようなテスト用の勉強くらい、
塾に頼らず自分でこなしてほしいのだ。
それくらいのことも大人がお膳立てしてやらなければできないようでは、
高校や大学での勉強にはついて行けない。
だから、塾ではテスト対策をしない。
あえて言えば、普段の指導すべてが、高校入試や大学入試の対策になっているのだ。
漢検や数検、TOEICなどでもそうだ。
それ用の対策本や過去問で準備するのが当たり前になっている。
私自身もそうしたことが多かったし、生徒に対してもある程度同じようにしてきた。
でも本当は、そういう受検の仕方に疑問を持っている。
出題傾向をつかむくらいの準備は必要だろうが、
そんなレベルを遙かに超え、検定のためだけの勉強に多くの時間が割かれているのが現状であろう。
それが当たり前になっているから、
普段の実力を測ろうと思って何もしないで受けるととんでもない結果になる。
対策をした上で受検することが前提となっている検定でいいのだろうか...。
健康診断の前だけ節制するのと同じようなものではないのか...。
一度、それ用の対策を一切せずにTOIECを受けたことがある。
得点は前回より50点下がったが、しっかり対策したときとは一味違う満足感があった。
テストの点は「上げる」ものではなく、
普段から納得の行く勉強をしていれば、自ずと「上がる」ものであると考えている。

そりゃあ、良いに越したことはない。
当然、多くの塾はテストの点を上げることに照準を合わせてくる。
定期テストの前には、その中学の何年分かの「過去問」を元に対策を練っている。
「予想問題」を作って対応している塾もあるようだ。
私の塾は、テスト対策を一切しない。
生徒が自主的にテスト勉強をするのを禁止するものではないが、
私から積極的に動くことはない。
正直、テスト対策をした方が、保護者や生徒からのウケはいいだろうと思う。
だが、しない。
教室だよりでもその点ははっきり宣言した。
定期テストは範囲が決まっているのだから、
そこを集中的に勉強し、よくわからない所はまる覚えしてしまえば何とかなる。
その気になれば40,50点は簡単に上げることができるだろう。
だが、それが勉強だと思ってもらっては困るのだ。
その場凌ぎの勉強で誤魔化してきた子は、総合テストになって必ずつまずく。
出題範囲が格段に広くなった途端、それまでの勉強法ではどうにもならなくなるのだ。
そうならないためには、普段から本質を理解する勉強を積み重ねていくしかない。
付け焼き刃ではない、しっかりした学力を身につけさせしかないのだ。
テストの度にこれが中断されては、甚だ効率が悪い。
結果的には、テスト対策に翻弄されない方が得策だと思っている。
さらに言えば、前述したようなテスト用の勉強くらい、
塾に頼らず自分でこなしてほしいのだ。
それくらいのことも大人がお膳立てしてやらなければできないようでは、
高校や大学での勉強にはついて行けない。
だから、塾ではテスト対策をしない。
あえて言えば、普段の指導すべてが、高校入試や大学入試の対策になっているのだ。
漢検や数検、TOEICなどでもそうだ。
それ用の対策本や過去問で準備するのが当たり前になっている。
私自身もそうしたことが多かったし、生徒に対してもある程度同じようにしてきた。
でも本当は、そういう受検の仕方に疑問を持っている。
出題傾向をつかむくらいの準備は必要だろうが、
そんなレベルを遙かに超え、検定のためだけの勉強に多くの時間が割かれているのが現状であろう。
それが当たり前になっているから、
普段の実力を測ろうと思って何もしないで受けるととんでもない結果になる。
対策をした上で受検することが前提となっている検定でいいのだろうか...。
健康診断の前だけ節制するのと同じようなものではないのか...。
一度、それ用の対策を一切せずにTOIECを受けたことがある。
得点は前回より50点下がったが、しっかり対策したときとは一味違う満足感があった。
テストの点は「上げる」ものではなく、
普段から納得の行く勉強をしていれば、自ずと「上がる」ものであると考えている。

2010年09月30日
小学校にも落第を!
過激なタイトルであるが、冷静にお付き合いいただきたい。
中1の男の子が体験学習に来た。
母親の話では「方程式がわからない」と言うので、
おそらく文字式でつまずいているのだろうと思い、数題やらせてみる。
ところがさっぱり筆が動かない。
これは小学校段階から怪しいと判断し、分数の問題を出した。
「12の3分の2は?」
「....。」
「じゃあ、12の2分の1は?」
「....。」
仕方ないので紙に円を描き、
「2分の1ってどれだけ?」と図示させようとしたが、これも失敗に終わる。
3分の1や4分の1の例を見せたらようやく2等分する線を描いてくれた。
片方の半円部を斜線で塗らせる。
「はい、それが2分の1ね。
じゃあ、この丸全体が12だとしたら、黒い所(斜線部)はいくつになる?」
これでも「6」という答は出てこなかった。
一緒に来ていた妹(6年生)の方がよほどわかっていた。
しばらくは分数と割合のオリジナル教材をさせることで納得してもらい、10月から来ることになった。
最近入塾してくる生徒には、こういう極端な子が増えている気がする。
そうでなくても、分数や割合、比などをきちんと理解している子は極めて少ない。
おそらく90%以上は、これらがよくわからないまま中学に上がっているのではなかろうか...。
中2や中3でも、数学が苦手だと言う子は、間違いなくこの辺りができていない。
さらに付け加えるなら、速さや円の面積もかなりの数の中学生が苦手とするところだ。
言うまでもなく、いずれも小学校で学んだはずのことだ。
中学に入学する時点で、100%とは行かなくてもある程度はわかっているべきことだろう。
それがいい加減なままでは、文字式や方程式など理解できるはずがない。
小学校はいったい何をやっているのか!
複雑な小数の計算より、分数や割合にもっと時間を割くべきではないか。
総花的にあれもこれもと詰め込むより、
数学に直結する内容に的を絞ることが重要ではないかと思う。
小学校での成績のつけ方にも問題があろう。
◎と○、△だけで評価し、実際は多くの子が◎と○のオン・パレードという現状でいいのか。
子どもに自信を持たせるという目的もあるのかも知れないが、
この評価を鵜呑みにして、わが子の学力不足に気づいていない親も多いのだ。
極端な話だが、中学校はもちろん、小学校にも落第制度を採り入れるべきだと思う。
もちろん、逆に飛び級も認めるべきだ。
義務教育だから許されないというのは理由にならない。
諸外国の例を見ても、ごく当たり前のことだ。
その学年で身につけるべきことが全くわかっていないのに、進級させる方が不合理ではないのか...。
一応、今の義務教育にも制度自体はある。
「落第」ではなく「原級留置」というそうだ。
校長の裁量に任されているらしいが、
現実として、学業不振を理由にこの決定が成された例は皆無に等しいのではなかろうか。
「小学校のうちから勉強、勉強はかわいそう」という声はよく聞く。
私も、子どものときの遊びや生活体験の豊かさは大切なものだと思う。
これが乏しい子は、想像力や応用力、粘り強さなどが欠けがちだ。
だからと言って、「勉強のことは中学に入ってから」で済ませていいのか。
中学生になったのだから勉強しろ、
ガラッと生活を変えろと言われても子どもは戸惑うだけである。
いざ勉強しようと思っても、冒頭の子のように小学校のことがわかっていなくては、
中学の勉強もつまずくばかりになることは目に見えている。
どちらが本当にかわいそうなのか...。
小学校時代は大いに遊び、いたずらも喧嘩もすればいい。
でも、学校で習ったことがきちんと理解できているかは、親がチェックすべきだし、
できていなかったら何らかの対策を打つべきだ。
もちろん、意識の高い親は今でもそうしているだろう。
問題は一部の意識の低い親、及びその他大勢の普通の親である。
さしたる根拠もなく、「勉強、勉強は中学に入ってからでいい」という風潮に流されている親たちである。
小学校での落第制が真剣に議論されれば、
そういう風潮に一石を投じる効果があるのではないかと考えている。

中1の男の子が体験学習に来た。
母親の話では「方程式がわからない」と言うので、
おそらく文字式でつまずいているのだろうと思い、数題やらせてみる。
ところがさっぱり筆が動かない。
これは小学校段階から怪しいと判断し、分数の問題を出した。
「12の3分の2は?」
「....。」
「じゃあ、12の2分の1は?」
「....。」
仕方ないので紙に円を描き、
「2分の1ってどれだけ?」と図示させようとしたが、これも失敗に終わる。
3分の1や4分の1の例を見せたらようやく2等分する線を描いてくれた。
片方の半円部を斜線で塗らせる。
「はい、それが2分の1ね。
じゃあ、この丸全体が12だとしたら、黒い所(斜線部)はいくつになる?」
これでも「6」という答は出てこなかった。
一緒に来ていた妹(6年生)の方がよほどわかっていた。
しばらくは分数と割合のオリジナル教材をさせることで納得してもらい、10月から来ることになった。
最近入塾してくる生徒には、こういう極端な子が増えている気がする。
そうでなくても、分数や割合、比などをきちんと理解している子は極めて少ない。
おそらく90%以上は、これらがよくわからないまま中学に上がっているのではなかろうか...。
中2や中3でも、数学が苦手だと言う子は、間違いなくこの辺りができていない。
さらに付け加えるなら、速さや円の面積もかなりの数の中学生が苦手とするところだ。
言うまでもなく、いずれも小学校で学んだはずのことだ。
中学に入学する時点で、100%とは行かなくてもある程度はわかっているべきことだろう。
それがいい加減なままでは、文字式や方程式など理解できるはずがない。
小学校はいったい何をやっているのか!
複雑な小数の計算より、分数や割合にもっと時間を割くべきではないか。
総花的にあれもこれもと詰め込むより、
数学に直結する内容に的を絞ることが重要ではないかと思う。
小学校での成績のつけ方にも問題があろう。
◎と○、△だけで評価し、実際は多くの子が◎と○のオン・パレードという現状でいいのか。
子どもに自信を持たせるという目的もあるのかも知れないが、
この評価を鵜呑みにして、わが子の学力不足に気づいていない親も多いのだ。
極端な話だが、中学校はもちろん、小学校にも落第制度を採り入れるべきだと思う。
もちろん、逆に飛び級も認めるべきだ。
義務教育だから許されないというのは理由にならない。
諸外国の例を見ても、ごく当たり前のことだ。
その学年で身につけるべきことが全くわかっていないのに、進級させる方が不合理ではないのか...。
一応、今の義務教育にも制度自体はある。
「落第」ではなく「原級留置」というそうだ。
校長の裁量に任されているらしいが、
現実として、学業不振を理由にこの決定が成された例は皆無に等しいのではなかろうか。
「小学校のうちから勉強、勉強はかわいそう」という声はよく聞く。
私も、子どものときの遊びや生活体験の豊かさは大切なものだと思う。
これが乏しい子は、想像力や応用力、粘り強さなどが欠けがちだ。
だからと言って、「勉強のことは中学に入ってから」で済ませていいのか。
中学生になったのだから勉強しろ、
ガラッと生活を変えろと言われても子どもは戸惑うだけである。
いざ勉強しようと思っても、冒頭の子のように小学校のことがわかっていなくては、
中学の勉強もつまずくばかりになることは目に見えている。
どちらが本当にかわいそうなのか...。
小学校時代は大いに遊び、いたずらも喧嘩もすればいい。
でも、学校で習ったことがきちんと理解できているかは、親がチェックすべきだし、
できていなかったら何らかの対策を打つべきだ。
もちろん、意識の高い親は今でもそうしているだろう。
問題は一部の意識の低い親、及びその他大勢の普通の親である。
さしたる根拠もなく、「勉強、勉強は中学に入ってからでいい」という風潮に流されている親たちである。
小学校での落第制が真剣に議論されれば、
そういう風潮に一石を投じる効果があるのではないかと考えている。

2010年09月22日
温暖化?
7月に、記事内容とは関係なくツマグロヒョウモンの画像を載せた。
庭先にやって来た、初めて見る美しい蝶の写真だ。
そのとき図鑑で調べて、南方系であることは確認していたが...。
今日の信濃毎日新聞「斜面」に、ツマグロヒョウモンの話題があった。
やはり、かつては長野県では見られなかった蝶だという。
43年前の図鑑では、生息の北限は「大阪府南部あたり」となっているそうだ。
これも温暖化の影響なのか?
蝶ではナガサキアゲハという大型のものが、北へ北へと生息域を伸ばしていることが
以前から注目されているらしい。
ただ、だからと言って温暖化が原因とは断定できないとのこと。
自然環境の変化だけでなく、社会的な要因(土や植物が運ばれるなど)も考慮する必要があるからだ。
そもそも地球は本当に温暖化しているのか?
もししているなら、本当に二酸化炭素の増加が元凶なのか?
「常識」のように言われてきたことに対し、今では様々な異論が登場してきた。
温暖化は大嘘で、むしろ氷河期に向かっているという人もいる。
二酸化炭素が温室効果を促進する割合など微々たるもので、
気温の上昇に関わっているのは太陽の黒点活動だという説もある。
どれが真実なのか、我々はどうすればいいのか、わからないことだらけだ。
これは一つ、マスコミや人の意見に振り回されることなく真剣に考えてみたい。
まずは様々な意見とデータを集めることから始めたい。

庭先にやって来た、初めて見る美しい蝶の写真だ。
そのとき図鑑で調べて、南方系であることは確認していたが...。
今日の信濃毎日新聞「斜面」に、ツマグロヒョウモンの話題があった。
やはり、かつては長野県では見られなかった蝶だという。
43年前の図鑑では、生息の北限は「大阪府南部あたり」となっているそうだ。
これも温暖化の影響なのか?
蝶ではナガサキアゲハという大型のものが、北へ北へと生息域を伸ばしていることが
以前から注目されているらしい。
ただ、だからと言って温暖化が原因とは断定できないとのこと。
自然環境の変化だけでなく、社会的な要因(土や植物が運ばれるなど)も考慮する必要があるからだ。
そもそも地球は本当に温暖化しているのか?
もししているなら、本当に二酸化炭素の増加が元凶なのか?
「常識」のように言われてきたことに対し、今では様々な異論が登場してきた。
温暖化は大嘘で、むしろ氷河期に向かっているという人もいる。
二酸化炭素が温室効果を促進する割合など微々たるもので、
気温の上昇に関わっているのは太陽の黒点活動だという説もある。
どれが真実なのか、我々はどうすればいいのか、わからないことだらけだ。
これは一つ、マスコミや人の意見に振り回されることなく真剣に考えてみたい。
まずは様々な意見とデータを集めることから始めたい。

2010年09月20日
逆行していないか?
毎年この時期に、長野県高校入試のいわゆる「過去問」を中3生に配布する。
実際の入試のレベルや傾向を認識させるためだ。
今年出版されたものは、2010年に実施された入試から過去5年間、
つまり2006年までの問題と正解、解説が収録されている。
毎年、最大手であろうF教育社の過去問集を買っているが、
うまいところに目を付けたものだと感心する。
各都道府県別のものを、受験生の3割が購入したとしても相当な売上になる。
編集は、新聞にも掲載される問題、正解を載せ、簡単な解説を加えるだけだ。
ただし、この解説には今一なものも...。
翌年入試の出題分野予測もあるが、これはもっと当てにならない。
塾には以前からのものが1部ずつ保管してあるので、
古くは昭和の時代の入試問題もある。
今の問題と比べると、各教科ともずいぶん様相が異なるようだ。
中でも気になったのが国語だ。
記述問題が激減している...。
かつては150~200字で、自分の考えや意見を書かせる問題があった。
単独の設問で、小論文とまでは行かないが、テーマに沿った作文だ。
それが徐々に字数が少なくなる。
同時に、独立した問題ではなく、長文読解の中の小問扱いになった。
一部の要約や、該当部分の理由を書かせる形式だ。
2004年以降は、50字を超える記述問題は皆無だ。
文章の一部を抜き出して答えればOKというものが主流である。
自分の言葉で表現する力は問われていない...。
日本人の言語力が危ないと言われている昨今である。
高校入試のこの流れは、時代に逆行しているのではないか。
今こそ、自分の考えを整理し、自分の言葉で伝える力を重視すべきではないのか...。
自由記述を増やせば、もちろん採点の手間も増える。
採点者の判断に委ねるのは平等ではないという意見もあろう。
それでも、だからと言って切り捨てていい問題ではない。
他の都道府県を見れば、長めの自由記述を採り入れているところも決して珍しくないのだ。
やる気次第である。
今年も10月に実施予定の「言語力検定」は、
4割が自由記述なので結果が出るまでに1ヶ月以上かかる。
さすがに高校入試ではこうは行かないが、
何らかの対策を考えた上で、自由記述問題を復活させてもらいたいと切に願う。

実際の入試のレベルや傾向を認識させるためだ。
今年出版されたものは、2010年に実施された入試から過去5年間、
つまり2006年までの問題と正解、解説が収録されている。
毎年、最大手であろうF教育社の過去問集を買っているが、
うまいところに目を付けたものだと感心する。
各都道府県別のものを、受験生の3割が購入したとしても相当な売上になる。
編集は、新聞にも掲載される問題、正解を載せ、簡単な解説を加えるだけだ。
ただし、この解説には今一なものも...。
翌年入試の出題分野予測もあるが、これはもっと当てにならない。
塾には以前からのものが1部ずつ保管してあるので、
古くは昭和の時代の入試問題もある。
今の問題と比べると、各教科ともずいぶん様相が異なるようだ。
中でも気になったのが国語だ。
記述問題が激減している...。
かつては150~200字で、自分の考えや意見を書かせる問題があった。
単独の設問で、小論文とまでは行かないが、テーマに沿った作文だ。
それが徐々に字数が少なくなる。
同時に、独立した問題ではなく、長文読解の中の小問扱いになった。
一部の要約や、該当部分の理由を書かせる形式だ。
2004年以降は、50字を超える記述問題は皆無だ。
文章の一部を抜き出して答えればOKというものが主流である。
自分の言葉で表現する力は問われていない...。
日本人の言語力が危ないと言われている昨今である。
高校入試のこの流れは、時代に逆行しているのではないか。
今こそ、自分の考えを整理し、自分の言葉で伝える力を重視すべきではないのか...。
自由記述を増やせば、もちろん採点の手間も増える。
採点者の判断に委ねるのは平等ではないという意見もあろう。
それでも、だからと言って切り捨てていい問題ではない。
他の都道府県を見れば、長めの自由記述を採り入れているところも決して珍しくないのだ。
やる気次第である。
今年も10月に実施予定の「言語力検定」は、
4割が自由記述なので結果が出るまでに1ヶ月以上かかる。
さすがに高校入試ではこうは行かないが、
何らかの対策を考えた上で、自由記述問題を復活させてもらいたいと切に願う。

2010年09月16日
「ここ一番」での強さとは?
昨日からずっと冷たい雨だ。
昨夜塾から帰ってくるときも寒かったが、今日も部屋の温度計は21℃。
半袖では寒いので、1枚羽織っている。
1週間前の暑さが嘘のようだ...。
わが阪神タイガースにも秋の気配が色濃く漂ってきた。
つい8日前まで首位にいて、いつマジック点灯かと浮かれていたのに、
下位チームに取りこぼし、あれよあれよの3位転落...。
考えられない継投など、采配のミスで落とした試合もあるが、
打つ方も投げる方も全く生彩がない。
実はこれ、阪神というチームの悪しき伝統でもある。
特にここ数年は、優勝争いをしていても9月に入ると失速する。
2007年はまさかの8連敗(その8連敗目を甲子園で観戦)。
2008年は球史に刻まれる13.5ゲーム差を逆転されてのV逸...。
短期決戦に弱いというのも、よく耳にするファンの声だ。
クライマックスシリーズはことごとく敗退している。
前回2005年に優勝したときも、日本シリーズではロッテに屈辱の4連敗だった。
なぜ「ここ一番」という大事な試合に勝てないのか...。
あんなにもたついていた中日は、9月に入って11勝1敗(1分)だ。
かたや阪神は5勝7敗(1分)なので、半月で6.5ゲーム差がついたことになる。
中学生でもそういう子がいる。
テストになると点が取れない。一つ一つの内容はよく理解しているのに、
テストでは勘違いや些細なミスが多くなってしまうのだ。
いったいどこに原因があるのか...。
①実力
勝負所できっちり勝てるのは、もちろん実力があるからだ。
野球で言えば、まずは投手力&守備力。
打力よりよほど頼りになる。
中日はまさに投手王国だ。
しかし、実力だけでは勝てないのもまた事実である。
先に挙げたような、テストになるとダメという現象は、これでは説明がつかない。
ミスをしないのも実力のうちと言ってしまえばそれまでだが...。
②運、勢い
これも当然バカにはできない。
野球なら、ラッキーな当たりや相手のエラーが大量点につながることがある。
自軍に有利な判定で救われることもあるだろう。
高校野球では、波に乗った無名高が強豪を次々と打ち破ることは珍しくない。
高校入試に向けて、夏を過ぎてからグングン成績を上げてくる子がいる。
入試直前の総合テストでは、まだ志望校の合格基準には少し足りない。
それでもこういう子は勢いがあるので、意外と受かってしまうことが多い。
じり貧気味の350点より、右肩上がりで来た340点の方がずっと強いのだ。
それでもなお、釈然としないものが残る。
阪神の9月の弱さは何なんだ...。
③前向きに楽しむこと
先日のヤクルト戦で、阪神の高卒ルーキー秋山君が完封勝利を挙げた。
前日、前々日と逆転負けを喫し、嫌なムードで迎えた試合だった。
しかも大観衆の甲子園での登板。
相当なプレッシャーがあったことと思うが、それを全く感じさせないみごとな投球を披露した。
投球数93、被安打4、四死球ゼロは文句なし。
自分でタイムリーヒットも打っている。
まさにシンデレラボーイ、救世主という活躍だった。
さらに、チームの連敗を止めたのはこれで3度目だ。
この19歳は、なぜ「ここ一番」で実力を発揮できるのか...。
日曜日だったので試合開始からすべて観ていたが、
一番印象に残ったのは笑顔である。
野球をすることを心底楽しんでいる様子が伝わってきた。
ピンチでも全く動じない(ように見えた)落ち着きは、
プレッシャーもまた楽しんでいるかのようだった。
最後の方は自信さえ感じさせる堂々の投げっぷり...。
打たれたらどうしようとか、負けたら自分の責任だとか、
そんなことはこれっぽっちも考えていなかったと思う。
ただ一所懸命に投げること、目の前の相手を打ち取ることだけを考え、
ひたすらプラス思考で乗り切ったのではないだろうか...。
勉強も楽しんでやることが一番である。
何かのため、あるいは誰かのために、仕方なくやる勉強では楽しいはずがない。
意味もわからず、ただテストのために覚える勉強を繰り返しても、苦痛なだけだ。
考えること自体を楽しむ学習に変えていかなければならない。
テストも、入試までも楽しめるようになれば怖いものなしだ。
間違ったらどうしようとか、またミスをするんじゃないかという気持ちで臨んでも結果は期待できない。
今日の雨は阪神ファンの涙雨か...。
天気予報では、また暑くなると言っていた。
タイガースもきっと盛り返してくれるであろうと、一縷の望みを抱いている。

昨夜塾から帰ってくるときも寒かったが、今日も部屋の温度計は21℃。
半袖では寒いので、1枚羽織っている。
1週間前の暑さが嘘のようだ...。
わが阪神タイガースにも秋の気配が色濃く漂ってきた。
つい8日前まで首位にいて、いつマジック点灯かと浮かれていたのに、
下位チームに取りこぼし、あれよあれよの3位転落...。
考えられない継投など、采配のミスで落とした試合もあるが、
打つ方も投げる方も全く生彩がない。
実はこれ、阪神というチームの悪しき伝統でもある。
特にここ数年は、優勝争いをしていても9月に入ると失速する。
2007年はまさかの8連敗(その8連敗目を甲子園で観戦)。
2008年は球史に刻まれる13.5ゲーム差を逆転されてのV逸...。
短期決戦に弱いというのも、よく耳にするファンの声だ。
クライマックスシリーズはことごとく敗退している。
前回2005年に優勝したときも、日本シリーズではロッテに屈辱の4連敗だった。
なぜ「ここ一番」という大事な試合に勝てないのか...。
あんなにもたついていた中日は、9月に入って11勝1敗(1分)だ。
かたや阪神は5勝7敗(1分)なので、半月で6.5ゲーム差がついたことになる。
中学生でもそういう子がいる。
テストになると点が取れない。一つ一つの内容はよく理解しているのに、
テストでは勘違いや些細なミスが多くなってしまうのだ。
いったいどこに原因があるのか...。
①実力
勝負所できっちり勝てるのは、もちろん実力があるからだ。
野球で言えば、まずは投手力&守備力。
打力よりよほど頼りになる。
中日はまさに投手王国だ。
しかし、実力だけでは勝てないのもまた事実である。
先に挙げたような、テストになるとダメという現象は、これでは説明がつかない。
ミスをしないのも実力のうちと言ってしまえばそれまでだが...。
②運、勢い
これも当然バカにはできない。
野球なら、ラッキーな当たりや相手のエラーが大量点につながることがある。
自軍に有利な判定で救われることもあるだろう。
高校野球では、波に乗った無名高が強豪を次々と打ち破ることは珍しくない。
高校入試に向けて、夏を過ぎてからグングン成績を上げてくる子がいる。
入試直前の総合テストでは、まだ志望校の合格基準には少し足りない。
それでもこういう子は勢いがあるので、意外と受かってしまうことが多い。
じり貧気味の350点より、右肩上がりで来た340点の方がずっと強いのだ。
それでもなお、釈然としないものが残る。
阪神の9月の弱さは何なんだ...。
③前向きに楽しむこと
先日のヤクルト戦で、阪神の高卒ルーキー秋山君が完封勝利を挙げた。
前日、前々日と逆転負けを喫し、嫌なムードで迎えた試合だった。
しかも大観衆の甲子園での登板。
相当なプレッシャーがあったことと思うが、それを全く感じさせないみごとな投球を披露した。
投球数93、被安打4、四死球ゼロは文句なし。
自分でタイムリーヒットも打っている。
まさにシンデレラボーイ、救世主という活躍だった。
さらに、チームの連敗を止めたのはこれで3度目だ。
この19歳は、なぜ「ここ一番」で実力を発揮できるのか...。
日曜日だったので試合開始からすべて観ていたが、
一番印象に残ったのは笑顔である。
野球をすることを心底楽しんでいる様子が伝わってきた。
ピンチでも全く動じない(ように見えた)落ち着きは、
プレッシャーもまた楽しんでいるかのようだった。
最後の方は自信さえ感じさせる堂々の投げっぷり...。
打たれたらどうしようとか、負けたら自分の責任だとか、
そんなことはこれっぽっちも考えていなかったと思う。
ただ一所懸命に投げること、目の前の相手を打ち取ることだけを考え、
ひたすらプラス思考で乗り切ったのではないだろうか...。
勉強も楽しんでやることが一番である。
何かのため、あるいは誰かのために、仕方なくやる勉強では楽しいはずがない。
意味もわからず、ただテストのために覚える勉強を繰り返しても、苦痛なだけだ。
考えること自体を楽しむ学習に変えていかなければならない。
テストも、入試までも楽しめるようになれば怖いものなしだ。
間違ったらどうしようとか、またミスをするんじゃないかという気持ちで臨んでも結果は期待できない。
今日の雨は阪神ファンの涙雨か...。
天気予報では、また暑くなると言っていた。
タイガースもきっと盛り返してくれるであろうと、一縷の望みを抱いている。

2010年09月08日
迷惑電話
昨日の昼前、自宅にかかってきた一本の電話。
「以前注文をもらった北海道の海産物業者」だと言う。
電話の向こうがやけに騒々しくて聞き取りにくい。
そんな注文したことあったっけ?
Yahooショッピングとかで利用したかな...?
...にしても、会社名も名乗らないなあ...。
などと考えて適当な返事をしていたら、
いらついたような大声で話してきた。
どうたら、ズワイガニを安く販売するという話らしい。
私「今、要らないなぁ...。」
男「今要らないなら、いつ要るの?!」
私「知らないよ。とにかく要らない!」
男「だから、今注文しなけりゃいつ注文するの?!」
私「しつこいなぁ。要らないって言ってるでしょ!」
男「暑いから食べたくないとか言うんでしょ?!」
私「いつ食べたくなろうが、こっちの勝手だろ!!」
まだ何か言っていたが、ラチが明かないので電話を切った。
折り返しかかって来るかと思ったが、そうでもない。
非常に不愉快な電話で腹が立ったので、相手の電話番号を調べた。
ご存知だろうか?
ナンバー・ディスプレイを契約していなくても、
直前にかかって来た電話1本だけなら、有料で調べることができる。
NTTの「ナンバーお知らせ」というサービスで、136にかけて1を押すだけだ。
相手が非通知なら30円を損することになるが、今回は番号をゲットできた。
0166-76-1008
(普段なら番号の一部を×××にするところだが、今回はあえて公開する。)
ネットを開き、この番号で検索してみる...。
あった、あった...。
同じような電話を受けた人が大勢いるようだ。
勝手に自分の会社の名を語られ、迷惑している業者のブログもあった。
一方的にカニを送りつけて来るという荒技もあるらしい。
一回の電話で済めばいいが、今後どうなることか...。
嫌がらせの電話が来るかも知れない。
ドーンとカニが送られてくるやも知れない。
まあ、どんな展開になっても戦うのみだ。
皆さんも十分にご注意を!

「以前注文をもらった北海道の海産物業者」だと言う。
電話の向こうがやけに騒々しくて聞き取りにくい。
そんな注文したことあったっけ?
Yahooショッピングとかで利用したかな...?
...にしても、会社名も名乗らないなあ...。
などと考えて適当な返事をしていたら、
いらついたような大声で話してきた。
どうたら、ズワイガニを安く販売するという話らしい。
私「今、要らないなぁ...。」
男「今要らないなら、いつ要るの?!」
私「知らないよ。とにかく要らない!」
男「だから、今注文しなけりゃいつ注文するの?!」
私「しつこいなぁ。要らないって言ってるでしょ!」
男「暑いから食べたくないとか言うんでしょ?!」
私「いつ食べたくなろうが、こっちの勝手だろ!!」
まだ何か言っていたが、ラチが明かないので電話を切った。
折り返しかかって来るかと思ったが、そうでもない。
非常に不愉快な電話で腹が立ったので、相手の電話番号を調べた。
ご存知だろうか?
ナンバー・ディスプレイを契約していなくても、
直前にかかって来た電話1本だけなら、有料で調べることができる。
NTTの「ナンバーお知らせ」というサービスで、136にかけて1を押すだけだ。
相手が非通知なら30円を損することになるが、今回は番号をゲットできた。
0166-76-1008
(普段なら番号の一部を×××にするところだが、今回はあえて公開する。)
ネットを開き、この番号で検索してみる...。
あった、あった...。
同じような電話を受けた人が大勢いるようだ。
勝手に自分の会社の名を語られ、迷惑している業者のブログもあった。
一方的にカニを送りつけて来るという荒技もあるらしい。
一回の電話で済めばいいが、今後どうなることか...。
嫌がらせの電話が来るかも知れない。
ドーンとカニが送られてくるやも知れない。
まあ、どんな展開になっても戦うのみだ。
皆さんも十分にご注意を!

2010年09月06日
心配りが足りない!
小学生はもちろん、中学生でも分数やわり算の計算練習が十分にできていない子がいる。
そういう子には宿題としてドリル形式のプリントを渡すこともあるので、
そのための問題集も用意してある。
いつもは考えさせる問題が中心だったり、解説が丁寧だったりというテキストを使うのだが、
この場合にはできるだけシンプルなものがいい。
B5判1ページに16~20題くらいの計算問題が羅列されているだけのものだ。
ある教材会社のシリーズがけっこう重宝しているのだが、
採点しようとして解答書を開く度に腹が立つ。
これ、問題の作成と解答書の作成を別々の人間がやっているに違いない。
いや、違う人が解答を作っていたとしても、
普通はもう少し心配りをするものではないのか...。
とにかく採点しづらくて仕方ない。
問題の配列と解答のそれが一致していないのだ。
問題はこうなっているのに...
① ⑨
② ⑩
③ ⑪
・ ・
・ ・
・ ・
解答書はこうである。
① ②
③ ④
⑤ ⑥
・ ・
・ ・
・ ・
この煩わしさは、経験のない方には伝わりにくいかも知れない。
でも、生徒の答と正解を照らし合わせるときには、
一々問題番号などチェックしていないのだ。
図形的に位置関係で照合し、採点している。
初めはこの問題集でもそうやっていて、
あまりにも「誤答」が多いので「あれ?」と気づいた次第だ。
それ以来、仕方ないので一々問題番号をチェックしているが、
急いでいるときには本当にまどろっこしい...。
こういう些細なところで商品の完成度に差がつくのだ。
このシリーズはもう二度と購入しないと決めた。
仕事ができる・できないなんて、案外こういう小さなことの差なのかも知れないと思う。
使う人の立場に立った、ちょっとした思いやりや心配りができる人間になりたいものである。

そういう子には宿題としてドリル形式のプリントを渡すこともあるので、
そのための問題集も用意してある。
いつもは考えさせる問題が中心だったり、解説が丁寧だったりというテキストを使うのだが、
この場合にはできるだけシンプルなものがいい。
B5判1ページに16~20題くらいの計算問題が羅列されているだけのものだ。
ある教材会社のシリーズがけっこう重宝しているのだが、
採点しようとして解答書を開く度に腹が立つ。
これ、問題の作成と解答書の作成を別々の人間がやっているに違いない。
いや、違う人が解答を作っていたとしても、
普通はもう少し心配りをするものではないのか...。
とにかく採点しづらくて仕方ない。
問題の配列と解答のそれが一致していないのだ。
問題はこうなっているのに...
① ⑨
② ⑩
③ ⑪
・ ・
・ ・
・ ・
解答書はこうである。
① ②
③ ④
⑤ ⑥
・ ・
・ ・
・ ・
この煩わしさは、経験のない方には伝わりにくいかも知れない。
でも、生徒の答と正解を照らし合わせるときには、
一々問題番号などチェックしていないのだ。
図形的に位置関係で照合し、採点している。
初めはこの問題集でもそうやっていて、
あまりにも「誤答」が多いので「あれ?」と気づいた次第だ。
それ以来、仕方ないので一々問題番号をチェックしているが、
急いでいるときには本当にまどろっこしい...。
こういう些細なところで商品の完成度に差がつくのだ。
このシリーズはもう二度と購入しないと決めた。
仕事ができる・できないなんて、案外こういう小さなことの差なのかも知れないと思う。
使う人の立場に立った、ちょっとした思いやりや心配りができる人間になりたいものである。

2010年08月29日
見てわかる力
数学=計算だと思っている生徒がいる。
難しい数式を駆使した方が高度な解き方だと誤解している。
...とんでもない!
シンプルな解き方こそが一番美しいのだ。
たとえば次のような∠aを求める問題がある。
もちろん平行線とか三角形が絡んで、
他のわかっている角から導き出す問題だ。

これを平気で「105°」と答える。
どこかで計算間違いか、勘違いをした結果だ。
しかし、図を見ればどう考えても90°以下のはずだ。
そこでおかしいと思ってほしいのだが、そんなことは気にもかけない。
計算を過信し、見て判断できることを疎かにしている...。
次は、一次関数のグラフから式を出す代表的な問題だ。

計算に頼る生徒は、当然のようにy=ax+b の式を持ち出し、
(-4,0)と(0,5)をxとyに代入して連立方程式を作る。
方程式にするといかにも数学をやっている気分になるのだろうが、
実はきわめて機械的に対処しているだけだ。
もっと簡単にできるのに、そんな方法は考えもしない...。
グラフを見れば、こんなの5秒で解ける。
傾きが4分の5、切片が5だからy=5/4x+5 でおしまい。
何の計算もいらない...。
高校の三角比でもそうだ。
sin2乗θ+cos2乗θ=1や、cosθ=sin(90-θ)などを必死に覚える理由がわからない。
教科書でも、いかにも重要なことのように太字で書いてあるが、
「公式」というほどのものでもなかろう。
直角三角形を描いてみればすぐにわかる。
こんなのを一々暗記していては、すぐにメモりーがいっぱいになってしまう...。
証明問題では、こことここが等しそうだという勘も軽視できない。
むろん思い込みは厳禁だが、図を見て見当をつけることで解決の糸口が見つかることも多い。
ひらめきや直観が働く頭を育てるために、
生徒には「計算に頼るな、見てわかる力を大事にしろ」と言い続けている。
難しい数式を駆使した方が高度な解き方だと誤解している。
...とんでもない!
シンプルな解き方こそが一番美しいのだ。
たとえば次のような∠aを求める問題がある。
もちろん平行線とか三角形が絡んで、
他のわかっている角から導き出す問題だ。

これを平気で「105°」と答える。
どこかで計算間違いか、勘違いをした結果だ。
しかし、図を見ればどう考えても90°以下のはずだ。
そこでおかしいと思ってほしいのだが、そんなことは気にもかけない。
計算を過信し、見て判断できることを疎かにしている...。
次は、一次関数のグラフから式を出す代表的な問題だ。

計算に頼る生徒は、当然のようにy=ax+b の式を持ち出し、
(-4,0)と(0,5)をxとyに代入して連立方程式を作る。
方程式にするといかにも数学をやっている気分になるのだろうが、
実はきわめて機械的に対処しているだけだ。
もっと簡単にできるのに、そんな方法は考えもしない...。
グラフを見れば、こんなの5秒で解ける。
傾きが4分の5、切片が5だからy=5/4x+5 でおしまい。
何の計算もいらない...。
高校の三角比でもそうだ。
sin2乗θ+cos2乗θ=1や、cosθ=sin(90-θ)などを必死に覚える理由がわからない。
教科書でも、いかにも重要なことのように太字で書いてあるが、
「公式」というほどのものでもなかろう。
直角三角形を描いてみればすぐにわかる。
こんなのを一々暗記していては、すぐにメモりーがいっぱいになってしまう...。
証明問題では、こことここが等しそうだという勘も軽視できない。
むろん思い込みは厳禁だが、図を見て見当をつけることで解決の糸口が見つかることも多い。
ひらめきや直観が働く頭を育てるために、
生徒には「計算に頼るな、見てわかる力を大事にしろ」と言い続けている。
2010年08月26日
「諦め」のすすめ
「諦める」という言葉にはマイナスのイメージが伴う。
夢や希望を棄てる、努力をやめるといったニュアンスが感じられる。
しかし、この言葉の語源は「明らむ」だという。
「明らかに見極める。事情をはっきりさせる。」などの意味を持つ。
「諦」という漢字にしても、もともとは「悟りを開く」という意味である。
(以上、「不幸な国の幸福論」(by加賀乙彦)参照。)
「諦める」は、本来よい意味の言葉なのだ。
己の置かれた状況を見極め、これからの指針を明確にする。
努力すれば変えられるものと、自分の力では変えられないものを区別することで、
心身の健康を保つことができる。
軍国主義の世になって、この考え方は一変する。
お国のため、がむしゃらに突き進む勇気、根性、大和魂が美徳とされた。
悟りなど開いている暇はない。
「諦める」ことはいけないこと、弱いことに成り下がったのだ。
戦後は戦後で、経済最優先の世の中になり、アメリカ的な競争主義が蔓延した。
人々は次から次へと「豊かさ」を求め、その欲望は限りを知らない。
「隣の芝生」に憧れ、他者と比べて劣っている点ばかりを憂慮し、
いつまでたっても満足感、幸福感を得られない...。
今の時代こそ、「諦める」ことの重要性が見直されるべきだろう。
「足るを知る」 ということでもある。
こう書くとなんだか貧乏くさい、年寄りじみた言い方に聞こえるかも知れないが、
自分を過小評価したり、己に早めに見切りをつけたりすることを勧めているわけではない。
こじんまりとした、小市民的な幸福に満足せよと言いたいのではないのだ。
先に書いたように、努力しても変えられないことは受け入れよということだ。
血縁、地縁、職場の人間関係、生まれながらの障害、持病などなど...。
他人の性格などそう簡単に変えられるものではない。
お金持ちの家に生まれなかったことを恨んでいても始まらない...。
一方で、「成せば成る」的な思想もわからないではない。
「決して諦めない」姿勢を貫き通すことで、
科学的には説明できない「奇跡」を起こした例も少なからずあるだろう。
それでも敢えて、今の日本に必要なのは「諦め」の思想だと言いたい。
経済大国になっても、不機嫌な顔の国民がこんなに多いのはなぜなのか...。
おそらく、江戸時代までの庶民は「諦める」ことを実践できていたのだと思う。
みんな貧しかったに違いないが、今よりずっとニコニコと楽しく暮らしていたのではなかろうか...。
「大和魂」なんていうのは、為政者が都合よく作り上げた観念だと私は思っている。

夢や希望を棄てる、努力をやめるといったニュアンスが感じられる。
しかし、この言葉の語源は「明らむ」だという。
「明らかに見極める。事情をはっきりさせる。」などの意味を持つ。
「諦」という漢字にしても、もともとは「悟りを開く」という意味である。
(以上、「不幸な国の幸福論」(by加賀乙彦)参照。)
「諦める」は、本来よい意味の言葉なのだ。
己の置かれた状況を見極め、これからの指針を明確にする。
努力すれば変えられるものと、自分の力では変えられないものを区別することで、
心身の健康を保つことができる。
軍国主義の世になって、この考え方は一変する。
お国のため、がむしゃらに突き進む勇気、根性、大和魂が美徳とされた。
悟りなど開いている暇はない。
「諦める」ことはいけないこと、弱いことに成り下がったのだ。
戦後は戦後で、経済最優先の世の中になり、アメリカ的な競争主義が蔓延した。
人々は次から次へと「豊かさ」を求め、その欲望は限りを知らない。
「隣の芝生」に憧れ、他者と比べて劣っている点ばかりを憂慮し、
いつまでたっても満足感、幸福感を得られない...。
今の時代こそ、「諦める」ことの重要性が見直されるべきだろう。
「足るを知る」 ということでもある。
こう書くとなんだか貧乏くさい、年寄りじみた言い方に聞こえるかも知れないが、
自分を過小評価したり、己に早めに見切りをつけたりすることを勧めているわけではない。
こじんまりとした、小市民的な幸福に満足せよと言いたいのではないのだ。
先に書いたように、努力しても変えられないことは受け入れよということだ。
血縁、地縁、職場の人間関係、生まれながらの障害、持病などなど...。
他人の性格などそう簡単に変えられるものではない。
お金持ちの家に生まれなかったことを恨んでいても始まらない...。
一方で、「成せば成る」的な思想もわからないではない。
「決して諦めない」姿勢を貫き通すことで、
科学的には説明できない「奇跡」を起こした例も少なからずあるだろう。
それでも敢えて、今の日本に必要なのは「諦め」の思想だと言いたい。
経済大国になっても、不機嫌な顔の国民がこんなに多いのはなぜなのか...。
おそらく、江戸時代までの庶民は「諦める」ことを実践できていたのだと思う。
みんな貧しかったに違いないが、今よりずっとニコニコと楽しく暮らしていたのではなかろうか...。
「大和魂」なんていうのは、為政者が都合よく作り上げた観念だと私は思っている。

2010年08月24日
何に脅えているのか?
個人宅に電話すると、「はい」とだけ反応が返ってくることが多い。
不機嫌な、あるいは用心深い声だ。
「○○です」と苗字を名乗って出る家は少ない。
昔はみな、受けた電話には「はい、○○です」と出たものだ。
私も親にそう教えられた。
しかも明るい声で出るように...。
個人情報保護法が施行されてから、世の中が必要以上に神経質になった。
電話帳に個人名を掲載していない家も多いし、
学校の連絡網などもなくなりつつあるという。
何をそんなにピリピリしているのか...。
かかってきた電話に名乗らない傾向も、その一環だろう。
しつこくかかってくる迷惑電話や振り込め詐欺のことを考えたら、
うかつに苗字を教えないことは正しいのかも知れない。
だが、私にはどうしても度が過ぎているように思える。
どう危険なのかを考えもせず、
ただ「個人情報」「プライバシー」と騒いでいるようにしか見えないのだ。
わが家でも妻が、一時そういう電話の受け方をしていた。
初めは私も気にしていなかったが、
自分が家にかけたときに「はい?」と出られると、
「いったい何の用ですか?!」と詰問されているようで甚だ気分が悪い。
妻に改めるように言うと、案の定「個人情報」の一言。
そこで聞いてみた。
苗字を名乗ったことでいったいどんな不利益が生じるのか...。
妻から具体的な答は得られなかった。
ただ何となく不安というだけなのだ。
これも、日本中に蔓延する思考停止現象の一つだろう。
確固たる考えがあってそうしているのなら結構だが、
妻のように「何となく」という例が多いのではないか。
テレビや周りのみんながそう言っているから...と、
自分の頭で十分考えることなく追従してしまう。
かくして、世の中はどんどんギスギスした方向に向かっていくのだ。
マスコミに煽動されやすく、みんなと同じを求めたがる日本人の気質は変わらないのか。
これは為政者にとって好都合な、
ときに大変危険な風潮であることは歴史で体験しているはずなのだが...。
わが家の電話応対はもとに戻った。
「はい、○○です」と明るい声で出てくれると、とても気持ちがいいものだ。
皆さんの家ではどうしてますか...?

不機嫌な、あるいは用心深い声だ。
「○○です」と苗字を名乗って出る家は少ない。
昔はみな、受けた電話には「はい、○○です」と出たものだ。
私も親にそう教えられた。
しかも明るい声で出るように...。
個人情報保護法が施行されてから、世の中が必要以上に神経質になった。
電話帳に個人名を掲載していない家も多いし、
学校の連絡網などもなくなりつつあるという。
何をそんなにピリピリしているのか...。
かかってきた電話に名乗らない傾向も、その一環だろう。
しつこくかかってくる迷惑電話や振り込め詐欺のことを考えたら、
うかつに苗字を教えないことは正しいのかも知れない。
だが、私にはどうしても度が過ぎているように思える。
どう危険なのかを考えもせず、
ただ「個人情報」「プライバシー」と騒いでいるようにしか見えないのだ。
わが家でも妻が、一時そういう電話の受け方をしていた。
初めは私も気にしていなかったが、
自分が家にかけたときに「はい?」と出られると、
「いったい何の用ですか?!」と詰問されているようで甚だ気分が悪い。
妻に改めるように言うと、案の定「個人情報」の一言。
そこで聞いてみた。
苗字を名乗ったことでいったいどんな不利益が生じるのか...。
妻から具体的な答は得られなかった。
ただ何となく不安というだけなのだ。
これも、日本中に蔓延する思考停止現象の一つだろう。
確固たる考えがあってそうしているのなら結構だが、
妻のように「何となく」という例が多いのではないか。
テレビや周りのみんながそう言っているから...と、
自分の頭で十分考えることなく追従してしまう。
かくして、世の中はどんどんギスギスした方向に向かっていくのだ。
マスコミに煽動されやすく、みんなと同じを求めたがる日本人の気質は変わらないのか。
これは為政者にとって好都合な、
ときに大変危険な風潮であることは歴史で体験しているはずなのだが...。
わが家の電話応対はもとに戻った。
「はい、○○です」と明るい声で出てくれると、とても気持ちがいいものだ。
皆さんの家ではどうしてますか...?

2010年08月20日
考える力
どこで見かけた問題だったか忘れてしまった。
生徒に息抜きに出すクイズ(?)にこんなのがある。
答えを見る前に、皆さんも考えていただきたい。
ある人がこう言いました。
「わたしは一昨日13歳でしたが、来年は16歳になります。」
さて、今日は何月何日で、この人の誕生日はいつでしょう?
(正解は画像の下↓)
一瞬、そんなことあり得ないと思う。
でも正解があるはずだ...。
ところが、多くの生徒がここから一歩も進めない。何を書くでもなく、ただボーッと考えている。
1分も経つと「無理!」「できない!」という顔つきになる...。
水曜日、居合わせた中学生全員にこの問題を与えた。
3年7名、2年1名、1年2名で競争だ。
初めは制限時間を5分とした。
5分以内にできたのは3人。
1番も2番も中1の生徒だった。
この二人は、付属中や私立中の受験勉強を経験している。
3番は中2の子。
この子は小3のときに入塾し、塾にあるペンシルパズルはすべて制覇した。
立体パズルも大好きな子だ。
さて肝心の中3は...。
5分過ぎにやっと1名が正解。
この子は学校の成績も上の中くらいで、わりと柔軟な考え方ができる。
続いてもう1名。
こちらは成績は中の中で、とにかく作業に時間がかかる。
しかしときどきキラッと光る才能を見せる子だ。
残りの5人は10分経ってもダメなので、ヒントを出す。
「こういう特殊な状況になるのは1年のどの時期かを考えろ」
それでも白紙のままの子、
「特殊」というヒントからなぜか2月29日にこだわる子...。
「今日」は合っているのに、「誕生日」がずれている子もいる。
結局どうにかもう一人が正解したきり、20分を経過したところで打ち切る。
先日の高校入試模試で、塾内でトップだった子はとうとうできなかった。
数学大好きという子も沈没...。
この結果は、いったい何を物語っているのか...。
実は、ある程度予想どおりだった。
学校の成績とは比例しないだろうと思っていた。
教えられたことをそのまま覚え、解き方のパターンを身につければ、テストでは点が取れる。
でも、それだけでは初めて見る問題には手も足も出ないのだ。
総合テストや本番の入試では固まってしまうことになる。
この問題を解くために必要なのは、まずひらめき、あるいは頭の柔らかさである。
さらに、条件を整理する分析力、論理的に考える力、試行錯誤できる粘り強さなどが挙げられる。
答を出した後には検証力、修正力も問われる。
中学受験の勉強をしてきた生徒は、柔軟性の面で優れているように思う。
いろいろな方向からの考え方ができるのは強味だ。
中2の子も、パズルや良質の文章題を通して、論理的思考力や粘り強さを磨いてきた。
ただ計算するだけ、覚えるだけの「お勉強」しかしていない子とは自力が違うのだ。
もう一つ感じたこと。
学年が進むにつれてできが悪かった。
これは、中学校でテスト向けの勉強、覚える勉強ばかりに染まってきた結果ではないのか。小学校のときはユニークな発想をしていた子が、
中学に入ってときが経つと、ありきたりの考え方しかできなくなる例は珍しくない。
この問題はこう考える、これはこのやり方で...という指導に慣れてしまい、
やがて言われたままにマネをする方が楽になってしまう。
教師の方がそういう生徒を求めているのだから仕方ない...。
今までは、中学生に対してはどうしても教科指導が主になってきたが、
小学生並みにパズル類を増やしてもいい、いや増やすべきかも知れないと考えている。

<正解>今日は1月1日。誕生日は12月31日。一昨日は13歳で昨日14歳になった。
今年の大晦日で15歳。来年の大晦日で16歳になる。
生徒に息抜きに出すクイズ(?)にこんなのがある。
答えを見る前に、皆さんも考えていただきたい。
ある人がこう言いました。
「わたしは一昨日13歳でしたが、来年は16歳になります。」
さて、今日は何月何日で、この人の誕生日はいつでしょう?
(正解は画像の下↓)
一瞬、そんなことあり得ないと思う。
でも正解があるはずだ...。
ところが、多くの生徒がここから一歩も進めない。何を書くでもなく、ただボーッと考えている。
1分も経つと「無理!」「できない!」という顔つきになる...。
水曜日、居合わせた中学生全員にこの問題を与えた。
3年7名、2年1名、1年2名で競争だ。
初めは制限時間を5分とした。
5分以内にできたのは3人。
1番も2番も中1の生徒だった。
この二人は、付属中や私立中の受験勉強を経験している。
3番は中2の子。
この子は小3のときに入塾し、塾にあるペンシルパズルはすべて制覇した。
立体パズルも大好きな子だ。
さて肝心の中3は...。
5分過ぎにやっと1名が正解。
この子は学校の成績も上の中くらいで、わりと柔軟な考え方ができる。
続いてもう1名。
こちらは成績は中の中で、とにかく作業に時間がかかる。
しかしときどきキラッと光る才能を見せる子だ。
残りの5人は10分経ってもダメなので、ヒントを出す。
「こういう特殊な状況になるのは1年のどの時期かを考えろ」
それでも白紙のままの子、
「特殊」というヒントからなぜか2月29日にこだわる子...。
「今日」は合っているのに、「誕生日」がずれている子もいる。
結局どうにかもう一人が正解したきり、20分を経過したところで打ち切る。
先日の高校入試模試で、塾内でトップだった子はとうとうできなかった。
数学大好きという子も沈没...。
この結果は、いったい何を物語っているのか...。
実は、ある程度予想どおりだった。
学校の成績とは比例しないだろうと思っていた。
教えられたことをそのまま覚え、解き方のパターンを身につければ、テストでは点が取れる。
でも、それだけでは初めて見る問題には手も足も出ないのだ。
総合テストや本番の入試では固まってしまうことになる。
この問題を解くために必要なのは、まずひらめき、あるいは頭の柔らかさである。
さらに、条件を整理する分析力、論理的に考える力、試行錯誤できる粘り強さなどが挙げられる。
答を出した後には検証力、修正力も問われる。
中学受験の勉強をしてきた生徒は、柔軟性の面で優れているように思う。
いろいろな方向からの考え方ができるのは強味だ。
中2の子も、パズルや良質の文章題を通して、論理的思考力や粘り強さを磨いてきた。
ただ計算するだけ、覚えるだけの「お勉強」しかしていない子とは自力が違うのだ。
もう一つ感じたこと。
学年が進むにつれてできが悪かった。
これは、中学校でテスト向けの勉強、覚える勉強ばかりに染まってきた結果ではないのか。小学校のときはユニークな発想をしていた子が、
中学に入ってときが経つと、ありきたりの考え方しかできなくなる例は珍しくない。
この問題はこう考える、これはこのやり方で...という指導に慣れてしまい、
やがて言われたままにマネをする方が楽になってしまう。
教師の方がそういう生徒を求めているのだから仕方ない...。
今までは、中学生に対してはどうしても教科指導が主になってきたが、
小学生並みにパズル類を増やしてもいい、いや増やすべきかも知れないと考えている。

<正解>今日は1月1日。誕生日は12月31日。一昨日は13歳で昨日14歳になった。
今年の大晦日で15歳。来年の大晦日で16歳になる。
2010年08月19日
男の本能?
お盆に実家帰った際、グループホームにいる父を訪ねた。
数年前から認知症が進み、老々介護では共倒れになりかねない状況になった。
幸い実家にはそれなりの財産もあり、近くによい施設があったので、お世話になることにした。
実に面倒見のよい所で、母も満足している。
帰省したときには必ず寄っていくが、ボケがかなり進んで会話もままならない。
たまに何か言おうとするが、小さな声でろれつも回らず聞き取れない。
こちらが話しかけても、言葉は返ってこない。
首を縦に振るか横に振るかで意思表示するだけだ。
それでも、しょっちゅう訪ねている母のことは、大事な人だとわかっているようだ。
私のことはわかっているのか...。
母が「○○でしょ」と私の名を告げれば肯くのだが...。
私のことを時折じっと見つめ、何か言いたげにしていた。
調子の悪いときもあるが、先日は終始穏やかな様子だった。
ときどき、何が楽しいのか、笑顔が続くことがある。
声を立てて笑うことも...。
みんながホッとするひとときだ。
いつだったか、母が冗談半分で父の手を取り、自分の胸を触らせたらとてもいい笑顔になった。
いやらしさなど微塵も感じられない、純粋な笑顔だ。
こちらまでほのぼのとした気持ちになる。
やっぱり本能的に幸せを感じるのかな...。
そのときのことを思い出し、今回は母にリクエストして写真を撮らせてもらった。
この満面の笑みをご覧あれ...。
それにしても、あんなにしっかりしていた親父がなぜ...?と思う。
周りのお年寄りは皆元気だ。
田舎の方が畑仕事などやることがたくさんあって脳にはいいのだろうか。
私は長男だが、信州が気に入って生活の拠点を置いてしまった。
申し訳ないという気持ちはずっと拭えない。
でも、大人の男同士の話をもっとしたかったな...。

数年前から認知症が進み、老々介護では共倒れになりかねない状況になった。
幸い実家にはそれなりの財産もあり、近くによい施設があったので、お世話になることにした。
実に面倒見のよい所で、母も満足している。
帰省したときには必ず寄っていくが、ボケがかなり進んで会話もままならない。
たまに何か言おうとするが、小さな声でろれつも回らず聞き取れない。
こちらが話しかけても、言葉は返ってこない。
首を縦に振るか横に振るかで意思表示するだけだ。
それでも、しょっちゅう訪ねている母のことは、大事な人だとわかっているようだ。
私のことはわかっているのか...。
母が「○○でしょ」と私の名を告げれば肯くのだが...。
私のことを時折じっと見つめ、何か言いたげにしていた。
調子の悪いときもあるが、先日は終始穏やかな様子だった。
ときどき、何が楽しいのか、笑顔が続くことがある。
声を立てて笑うことも...。
みんながホッとするひとときだ。
いつだったか、母が冗談半分で父の手を取り、自分の胸を触らせたらとてもいい笑顔になった。
いやらしさなど微塵も感じられない、純粋な笑顔だ。
こちらまでほのぼのとした気持ちになる。
やっぱり本能的に幸せを感じるのかな...。
そのときのことを思い出し、今回は母にリクエストして写真を撮らせてもらった。
この満面の笑みをご覧あれ...。
それにしても、あんなにしっかりしていた親父がなぜ...?と思う。
周りのお年寄りは皆元気だ。
田舎の方が畑仕事などやることがたくさんあって脳にはいいのだろうか。
私は長男だが、信州が気に入って生活の拠点を置いてしまった。
申し訳ないという気持ちはずっと拭えない。
でも、大人の男同士の話をもっとしたかったな...。