2010年05月01日
寄り道の効用
先日の信濃毎日新聞に「就活のツボ」と題するコラムがあった。
筆者は石橋嶺司という「大学ジャーナリスト」(???)である。
新聞を読まない学生が増えているという。
必要な情報はネットで手に入れる、新聞も読みたい記事だけネットで見れば十分という考え方のようだ。
それに対し筆者は、新聞を読む利点として「無駄な話を知ること」を挙げている。
ネットでは自分が興味あることだけに目が向いてしまい、たとえば政治のこと、料理のことなどには関心が広がらない。
今の自分には無駄に思える話でも、いつどこで有用になるのかわからないのだから、日々のニュースをまとめて読める新聞は有用だと言っている。
私はこの意見に大いに賛同する。
確かにネットは効率的だ。
しかし、瞬時に目的の情報にたどり着けるがゆえに、寄り道がない。
幅広い知識や常識、教養を身につけるためには、この寄り道こそが欠かせないのではなかろうか...。
私が電子辞書を好まない理由の一つもここにある。
紙の辞書を引くときは、目当ての言葉を探すときに、否応なく周辺の言葉も目に入ってくる。
つい目がそちらに行ってしまって、しばらく脱線状態が続いた経験をお持ちの方も多いだろう。
しかし、そのときは無駄な時間を費やしたようでも、ついでに得た知識が後になって役立つこともある。
寄り道のおかげで、新たな分野に関心が向くこともあるだろう。
飛行機や新幹線の発達で、旅の途中を楽しむことが少なくなった。
昔は長距離の鈍行や夜行列車で旅情を味わいながら旅したものだが、
ダイヤ改正の度にそんな列車は減っていく。
早く着くことばかりが優先されて、乗り物は単なる移動手段になってしまった。
途中下車をして寄り道を楽しむ体験は、その後の人生にも決して無駄にはならないと思うのだが...。
今こそ、アナログが持つ無駄や寄り道の効用を見直すべきである。
勉強の根本も同じだ。
効率的な勉強より、寄り道をしながらじっくり行う勉強の方が本質を理解できる。
学力低下の要因として総合学習が槍玉に挙げられるのは、極めて遺憾である。

<画像について>釘隠その4。松代町のどこだったかわからなくなりました。「銀杏」ですね。
筆者は石橋嶺司という「大学ジャーナリスト」(???)である。
新聞を読まない学生が増えているという。
必要な情報はネットで手に入れる、新聞も読みたい記事だけネットで見れば十分という考え方のようだ。
それに対し筆者は、新聞を読む利点として「無駄な話を知ること」を挙げている。
ネットでは自分が興味あることだけに目が向いてしまい、たとえば政治のこと、料理のことなどには関心が広がらない。
今の自分には無駄に思える話でも、いつどこで有用になるのかわからないのだから、日々のニュースをまとめて読める新聞は有用だと言っている。
私はこの意見に大いに賛同する。
確かにネットは効率的だ。
しかし、瞬時に目的の情報にたどり着けるがゆえに、寄り道がない。
幅広い知識や常識、教養を身につけるためには、この寄り道こそが欠かせないのではなかろうか...。
私が電子辞書を好まない理由の一つもここにある。
紙の辞書を引くときは、目当ての言葉を探すときに、否応なく周辺の言葉も目に入ってくる。
つい目がそちらに行ってしまって、しばらく脱線状態が続いた経験をお持ちの方も多いだろう。
しかし、そのときは無駄な時間を費やしたようでも、ついでに得た知識が後になって役立つこともある。
寄り道のおかげで、新たな分野に関心が向くこともあるだろう。
飛行機や新幹線の発達で、旅の途中を楽しむことが少なくなった。
昔は長距離の鈍行や夜行列車で旅情を味わいながら旅したものだが、
ダイヤ改正の度にそんな列車は減っていく。
早く着くことばかりが優先されて、乗り物は単なる移動手段になってしまった。
途中下車をして寄り道を楽しむ体験は、その後の人生にも決して無駄にはならないと思うのだが...。
今こそ、アナログが持つ無駄や寄り道の効用を見直すべきである。
勉強の根本も同じだ。
効率的な勉強より、寄り道をしながらじっくり行う勉強の方が本質を理解できる。
学力低下の要因として総合学習が槍玉に挙げられるのは、極めて遺憾である。
<画像について>釘隠その4。松代町のどこだったかわからなくなりました。「銀杏」ですね。