2010年05月13日
証拠より論
いろはがるたでもお馴染みの「論より証拠」ということわざがある。
江戸いろはがるたの中では、「花より団子」「楽あれば苦あり」などとともに、平成になっても身近なことわざの一つであろう。
商品の効能をアピールするための表現にもよく使われる。
「論より証拠、これをご覧ください!」学習塾が合格実績を誇らしげにPRするのも同じである。
ビジネスの世界では確かに結果がすべてなのかも知れない。
ただ、日本人はどうも「論」を軽んじて「証拠」ばかりを重視しすぎるように思う。
科学的根拠のない薬や治療法を簡単に信じてしまったり、小さなきっかけで怪しげな新興宗教に洗脳されてしまったりする人が少なくない。
以前の記事で書いたように、自分で考えることを怠ってマスコミや周りのムードに流されているだけの人が多いのも、同じ根っこから発生する現象だと思う。
日本では論理的に考えることに価値が置かれてこなかったのだ。嫌われてきたと言ってもいい。
論理的な説明をしようとすれば「へりくつ」と言われ、結果だけでなくプロセスも大切だと主張すれば「理屈じゃない」と切り捨てられる。
長野県人は「議論好き」だと言われるが、この言葉にはマイナスイメージの方が多いのではないか。
これとセットで言われる「理屈っぽい」という評価を見れば明らかである。
事実や体験を重視することも大事である。
それは否定しない。
生活体験が乏しい子は想像力も貧困になる。
知識を増やすことも必要であろう。
だが、それ以上に重要なのは、論理的に思考して自分の考えを組み立てていく力である。
自分の意見を論理的に表現できる能力である。
特に子どもたちには、結果よりもそこに至る過程を大切にしてほしい。
なぜそうなるのか、「理屈」をしっかり考えてもらいたい。
大人にできることは、成果を急がずじっくり待つことだけだ。
「論より証拠」で子どもたちの考える芽を摘んではならない。

江戸いろはがるたの中では、「花より団子」「楽あれば苦あり」などとともに、平成になっても身近なことわざの一つであろう。
商品の効能をアピールするための表現にもよく使われる。
「論より証拠、これをご覧ください!」学習塾が合格実績を誇らしげにPRするのも同じである。
ビジネスの世界では確かに結果がすべてなのかも知れない。
ただ、日本人はどうも「論」を軽んじて「証拠」ばかりを重視しすぎるように思う。
科学的根拠のない薬や治療法を簡単に信じてしまったり、小さなきっかけで怪しげな新興宗教に洗脳されてしまったりする人が少なくない。
以前の記事で書いたように、自分で考えることを怠ってマスコミや周りのムードに流されているだけの人が多いのも、同じ根っこから発生する現象だと思う。
日本では論理的に考えることに価値が置かれてこなかったのだ。嫌われてきたと言ってもいい。
論理的な説明をしようとすれば「へりくつ」と言われ、結果だけでなくプロセスも大切だと主張すれば「理屈じゃない」と切り捨てられる。
長野県人は「議論好き」だと言われるが、この言葉にはマイナスイメージの方が多いのではないか。
これとセットで言われる「理屈っぽい」という評価を見れば明らかである。
事実や体験を重視することも大事である。
それは否定しない。
生活体験が乏しい子は想像力も貧困になる。
知識を増やすことも必要であろう。
だが、それ以上に重要なのは、論理的に思考して自分の考えを組み立てていく力である。
自分の意見を論理的に表現できる能力である。
特に子どもたちには、結果よりもそこに至る過程を大切にしてほしい。
なぜそうなるのか、「理屈」をしっかり考えてもらいたい。
大人にできることは、成果を急がずじっくり待つことだけだ。
「論より証拠」で子どもたちの考える芽を摘んではならない。
