2010年07月26日

古文嫌いを増やすな!

高校生が古文の宿題をやっている。
見ていると、どこの高校の生徒も同じような作業をしている。

ノートに書き写した文章の単語一つ一つを三角や逆三角、楕円などで囲み、
その横に活用の種類や活用形を書き込んでいる。
三角や楕円は品詞の区別をしているらしい。
格調高い珠玉の名文を切り刻んでいじくり回しているのだ...。

こんなことが楽しいわけがない。
それでも生徒たちは素直に、黙々と作業を続ける。
そのうち古文が嫌いになるのは目に見えているのに...。

おそらく、初めはどこかの予備校が始めたのだろう。
それがいつからか高校にまで広がってきたのだ。

私が高校生の頃は、こんな指導はなかった。
もちろん、退屈な文法の解説はあったが、
それよりも作品を味わうことに重点が置かれていた気がする。
前にも書いたが、私は高校で「虫めづる姫君」(堤中納言物語)という異色の話に出会って、
古典の面白さに目覚めたのである。

文法に関しては、百人一首をすべて覚え、
その解釈を100%自分のものにすることで十分対応できた。
活用の種類は答えられなくても、微妙なニュアンスの違いはわかっていたつもりだ。

まあ予備校なら、受験テクニックとしてそれを教えるのも許せる。
しかし高校までがそのまねをするのは放っておけない。
高等学校は小手先のテクニックより、学問の奥深さや学ぶ喜びを教えるべき所ではないのか...。
その高校が、生徒の嫌いな科目を自ら増やすような指導をしてどうする!

もっとも、最近では、むしろ積極的に予備校化している高校も多い。
大学受験の実績を最優先にしたカリキュラムが組まれ、
重箱の隅をつつくようなことまで、とにかく覚えさせる。
教養をつけたり学問の本質に触れるのは、大学へ行ってからでいいと考えているのだろう。

生徒の方も、案外それで満足しているのかも知れない。高校に期待しているのは、少しでもレベルの高い大学に入れるような指導だけなのだろう。
よけいなことはどうでもいいから、受かるように教えてくれということか...。

本当にこれでいいのか!?
高校のあり方とか、プライドとか、
そんなことを真剣に考えるのは時代に合わないのか...。


大学入試が変わらない限り何も変わらないという声はよく耳にする。
だが、そんな悠長なことを言っていていいのか?

10年後の日本が、私は怖ろしい...。









※画像は、先日やって来たツマグロヒョウモンの雌です。  


Posted by どーもオリゴ糖 at 12:11Comments(0)よしなしごと